相手に寄り添いながらラストスパート6週間

共通テストも終わり二次試験まであと残すところ1か月をきりました。子供は不安と緊張が続いていますが、親は更に殺気立っています。自分のことでも他人事でもないこの半人事が一番親として苦しく感じているのでは私だけではないでしょう。正月明けからmaxに達した新型コロナも今後は徐々に減少傾向になることを期待しています。そんな時に限ってまた別のこのような難題が身に降りかかってきます。本当にいいタイミングで次から次へと襲来してきます。それでもこの長い長い受験戦争もあと1か月あまりで終止符を打てるかもしれません。その集大成として最後の追い込みを自分に課して現在進行で頑張っている状況です。

「子供にとっては受験に必要でも自分にとっては一文の得にもならない?数学や理科をなぜ勉強するのか」といつも自分に問いかけます。これには数学のように正解はありませんが、子供と同じ土俵に立つことが相手の気持ちを一番理解できるのではないかという自己満足表現ではないかと今の自分は思っています。しかし1年後には答えが変わるかもしれません。世間を見渡すと相手のことを理解した風に見せかけて自己主張をする人をよく見かけます。よくある身近な例では「自分は日々勉強をしないのに子供に勉強をしろ」とうるさく言う親を見かけます。「昔、自分が勉強しなかったので損をしたからと子供にその怨念を押し付けようとする親」もたくさんいます。そのような行動について私は疑問を持っています。一方で「親は金を稼いで子供を育てる」という親子の分業制の考え方もあります。実際にティーンエイジャーの頃のスポンジのような脳みそと比較すれば還暦に近い凝り固まった脳みそでは吸収し解読する能力は段違いで劣ります。それはこの何年もやってきた自分には痛いほどわかりました。それでも何回も繰り返して少しずつでも前進させることが、その他全ての事象に対して有効な手段としてのスキルに繋がると信じてやってきました。40年前の自分は能力以上に努力で切り抜けたといっても過言ではありません。しかし世の中には努力しても花の開かない人もたくさんいるのも事実です。しかしその努力こそが新しい道を進むことになったとしてもそのスキルとして必ず役に立つと信じています。子供が3人いればお頭も三者三様で得手不得手があります。自分の現在の錆びついたお頭で苦労している姿が三者三様のお頭の子供の気持ちを理解しようとすればするほど「勉強しなさい。さもなければ将来、きっと後悔する」というような常套句を簡単に発することはできないのです。

「郷に入れば郷に従え」という諺があります。繰り返しになりますが、相手の気持ちを理解するには相手と同じ土俵に立たなければ理解できません。同様に医者なんて病気の知識は豊富でも病気を罹っている相手の気持ちを理解することはなかなか困難だと以前から思っています。「相手に寄り添う」と世の中では簡単に言いますが、どこまで本当に理解しているのでしょうか?少なくとも私はまだまだその域には到達できていません。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です