ブログの原点

ブログを始めて早6年以上が経過しましたが、現在は個人的な感情が主体となった内容のブログになっています。当初は医療の話題を主体にするのがいいのかなと思っていましたが、書き続ける中でありのままの自分を見せるのがブログの醍醐味だと確信して途中からは完全に日記風随筆にしました。始める前はブログに関してはあまり興味がありませんでしたが、「ブログは読書と同じで相手と文章を通して会話を楽しむことである」と気付きブログに対する既成観念が変わりました。するとブログによって相手にメッセージを発信するために湧き上がるようにたくさんの思いが頭に浮かんできて文章という形になっていきます。一方で「今回は何を書こうか?」と考えるときはよいアイデアが浮かんできませんので「今自分は何を思う?」と心に尋ねると自然にその思いが文章となって一気に書き上がっていきます。そして書く途中でそのタイトルが浮かび上がってくるのです。

さて世の中にはSNSで無限のブログや書き込みが存在します。別にブログ批評をするわけではありませんが、なかなかこれぞというブログにお目にかかれません。子供が中学受験する時は西日本各地の中高一貫校のHPを調べ上げました。その中で学校職関係者の簡単なブログがありますが、ほとんど学校行事の写真を貼ってコメントする程度です。そしてこちらも受験が終わってしまうと閲覧しなくなります。その時々の自分たちの立場によって見るHPは変わってきますが、ずっと見続けることはまずあり得ません。次に同業である医療機関のHPですが、これも皆さん最初に立ち上げたときは張り切ってブログを書かれるようですが、お仕事に忙しく長続きしないのか尻切れトンボになってしまうことが多いようです。私の場合も周囲から長続きさせるのは難しいと言われていましたので、そこは意地の張り合いでブログの週1回更新を維持しています。やはりDrですから医療の内容のブログで最初はネタに困りませんが、そのうちネタが尽きる頃から間隔が飛び飛びになっていくようです。その点では私も最初は医療ネタを挿入していましたが、医療ネタだと事実の羅列のみになってブログに自分の生の感情を差し込むことができないために長続きしないのではないかと最近思うのです。長続きの秘訣は読書と一緒で冒頭にも書きました通りこのブログの読者をいろいろと想定しながら「今回はこの人に読んでもらってブログの中で私と会話しよう」とか「次回は別の相手と文章の中で会話をあたかもしているような感覚」で書いているのです。ブログの原点は著書と同じで読者と会話することが目的だとすれば自分の得意な仕事絡みの内容は一見書きやすくとっつきやすいのですが、長続きさせることは容易ではないと思うのです。むしろ日記随筆風に書きたいと思いついた時の旬を逃さずにその時の感情も挿入できて10年後に読まれても古臭いと思われないブログが書きたい。そう考えていくとほとんど誰もが過去に通って来た道、これから未来へ進んでいく道、つまり子育てや自分の生きざま、そしてこれからの老いを含めて自分の人生を思うがままに書き続ける事がベストなのだと確信しています。

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今年のお正月の秘めたる思い

新年早々、まともに家族が勢揃いしたのは13日でした。長男はセンター試験目前ですので致し方ありませんが、長女も第二週から後期試験が待ち受けていますので4日に帰京しました。次男は少し遅くこの連休明けには帰寮します。そして帰寮翌日には組分進級試験が待ち構えていますが、今回の休み明けの試験は通常の試験とは異なり中3の進級に関して成績上位クラスとそれ以外に振り分ける試験なのです。詳細は後日に再度お話しするつもりですが、まずその関門をクリアすることが私のこのお正月休みの最大のミッションでした。年末年始の仕事の休みを利用して再び時給2000円の家庭教師に変身です。我が子をずっと見てきていますので欠点や長所はわかっています。他人の子供ならどうやって伸ばせるかも理解しているつもりです。唯一の弱点は親子という情が絡むことです。しかしそれだけは永遠に解決不可能です。隣で数年前まで親心を相当悩ませた長男が涼しげにセンター試験の勉強をしながら言います。「いずれ時期が来たら変われるよ。もしそれで変われなかったらそれはその人の限界!」その通りなのです。私も第三者なら同じことを言うと思います。ただし今回は親子だからそう言えないだけなのです。しかし冷酷にそう言われたら反論できません。その意味では問題児の長男も一端に成長したのでしょう。それは喜ぶべきことなのですが、何せセンター試験直前ですのでいらぬ事は発言しないように親としてもピリピリムードはマックスです。

初詣は今年の成功気願成就で学問の神様の菅原道真公が奉られた防府天満宮までたどり着けずに地元の山崎八幡宮で済ませました。これも溺れる者は藁をもすがるという諺にほかなりません。あと約1週間で天国か地獄かを決める天下分け目の決戦を控えた親子の率直な気持ちです。このような経験は長女の中学受験を控えた10年前から何度も経験してきてまた同じ数だけ挫折も味わってきました。しかし今回の賭ける思いは特別なのです。なぜなら今までに自分の人生の一部を削りながら頑張ってきた時間も残り数年を残すだけとなり、自分にとっての集大成に突入しているのです。将来いつの日かこのブログを子供たちが読んでくれればいいなとわずかな期待を抱いて書いているのですが、読んでほしいとは子供たちには伝えていません。何かの拍子に「親バカがこんな事思っていたのだ」と気づいてくれればいいなという思いだけです。

仕事始めと同時に我が家もそれぞれの民族大移動で昨日までは賑やかだった家が急に静かになりました。予想していた事とはいえやはり残った者からすれば再び寂しい環境となってしまいました。しかしものは考えようです。家族のそれぞれが大きな目標や夢に向かってチャレンジする出発なので、親としてその夢に向かって前に進む子供たちの姿を見ることが他の何よりも貴重で価値あることなのです。自分も過去にたくさんの失敗を重ねて成長してきました。だから「失敗は成功への出発で、七転び八起きで諦めなければ失敗はない」と彼らに言い続けていきたいと思っています。

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子供が勝負なら親も一緒に勝負!

6年前の201221日に2192日からカウントダウンが始まりました。あれから365日が3回と366日が2回、そして335日目が2018年の元旦で残り日がジャスト1か月を切りました。6年前のあの日、長男は中学受験を失敗してどん底まで落ちていました。塾の先生曰く「過去の模試の成績から見てあり得ない結果だ」と。そう言われても現実がそうなのだからこちらもやるせない気持ちでいっぱいでした。それでも「捨てる神あれば拾ってくれる神もあり」とはよく言ったもので現在の学校だけは合格させていただき現在に至ります。当時は気づきませんでしたが、振り返ってみるといろいろ異変はありました。親の目をくすねて勉強をしている振りをしてゲームをしていたことも多々あり、「あそこでもう少し軌道修正しておけば」と思っても後の祭りです。また現在の彼曰く「当時は勉強をやらされていた」と。これも「親のエゴ」と言われれば否定のしようがありません。そして一番の原因は彼が勉強する知能と世の中を生きていく上での知恵が乖離していて、一言でいえば「幼すぎたのだ」と今では思っています。事実、中学に入学後も2年の頃から全く勉強しなくなり授業中は堂々と睡眠学習をしてテストでも白紙答案を提出して宿題なんか全く無視でした。夜も遅く帰るようになりました。毎回の三者懇談は私も出席して四者懇談にならざるを得なく学校の先生が検察官で我々は被告席に座る気持ちでした。そしていつも最初の第一声が「いつもご迷惑をおかけして申し訳ありません」が枕詞でした。また他にもいろいろやらかして退学にならずに無事卒業さえさせてもらえればという気持ちで砂を噛むような毎日でした。それが今から3年前で我々夫婦ともどもテンパっていましたが、当時の担任の先生のフォローでどうにか乗り越えることができました。今でも当時の担任の先生には感謝でいっぱいです。誰でも困難にぶつかるとそれが今までに経験がないと史上最大のピンチに見えます。乗り越えた人から見ればただの「心の風邪」くらいにしか見えないのですが。当時は相談できる相手もいませんで、親しくしている飲み屋のマスターに一人で行って他のお客さんがいない時に愚痴るのがせいぜいでしたが、彼の存在は当時とても大きかったのです。彼も中高時代に相当荒れていたみたいでそれを乗り越えて現在があるため、彼から見ると「目は死んでない。大丈夫!」と太鼓判を押してくれました。また小さい頃からよく長男を連れて行った焼鳥屋のおばちゃんも「長男の手を握って目を見て大丈夫」と言ってくれて現在があるのです。

石の上にも3年と言いますが、やっとこの1年は私の目から見ても長男が少しは成長したように見えます。親バカかもしれませんが、「この3年間は子供が親を成長させてくれたのだ」と思えるようにもなりました。私も親として「生きた目」と「死んだ目」を少しは判別できるようになりました。そして「今現在の最優先事項は何か?」と考えながら必死でやってきました。もうセンター試験が目前ですが、どんな結果でもそれを受け止めて前を向いて今できることを最大限にするつもりです。子供のためというよりは自分のために。

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今年もいろいろありました

毎年のことながら年末放談をして今年を10分で振り返ってみたいと思います。今年の最大のイベントは中学の同窓会でした。40年前のほんの一瞬の3年間に時間を共有した異業種の会です。通常の異業種ならば初対面では名刺交換をして相手の過去を探りながら自分の情報も小出しして共有部分を見つけていきます。同窓会の良いところは過去の共有部分があるので過去に一度も話したことがない人でもすぐに共通点をみつけて話題があることです。一方で過去の良いイメージが再会後一瞬にして崩れてしまい会わない方が良かったと思うことも少なくありません。誰しも昔の良き思い出を永遠に持ち続けたいことも多々あるわけです。次回は6年後の還暦のお盆に開催が決まっていますが、同級生の何人が参加してくれて、もしかしたら何人が旅立つのかを心配する年齢にもなってきて期待と不安が入り混じります。また恩師はかなり高齢で次回は?と心配になります。

次に思い浮かぶイベントと言ったら?必死でこの1年を振り返りますが、なかなか思いつきません。細々としたことはしたのですが、全て記憶の中でスルーしています。結局は今年も最優先事項は子育てだったのかなと思います。来年は早々に長男の大学受験が始まりますが、うまくいけば新しい土地の開拓が待っていますし、失敗すれば長女同様に予備校で勉強漬けの1年が待っています。どちらにせよこの最初の2ヶ月で1年が天国にも地獄にも変わります。他人事ですが子供事のため親事として気が気ではありません。他人事で言えばやはりトランプ大統領に北朝鮮の核問題が日本にとって最大の関心事であったことに違いはありません。国家単位でみると個人とは違い本当に身勝手な事をするなと思います。日本がかつて戦争でどんどん孤立への道を突き進み結局70年というつけを払わされたのと同じ過ちを繰り返しているように思えます。しかし当事者にとっては目先の欲が最優先課題ですので解決は難しいでしょう。日本も再び同じ轍を踏んではならないようしっかりと健全なる野党が与党の暴走は止めなければなりません。一方で野党はいつも反対ではいつまでたっても政権をとれない万年野党のままです。個々人では理解していても集団になるとなかなか舵を切れないのも事実です。

今年の流行語大賞はインスタ映えと忖度で清水の文字は北でした。それぞれの思いはこの1年で十分に伝わってきます。○○ファーストが流行りましたが、失速しました。しかし個人的には「今がファースト」です。「今という旬」は一瞬しかありません。「今年駄目でも来年がんばろう」では駄目なのです。多分それでは来年も同じ結果になるに違いありません。「今という一瞬を瞬時に把握して今しかできないことを今すぐにする」ということが「今がファースト」なのです。来年の抱負だけではなくこれから生き続けていく限りいつまでも「今がファースト」なのです。その時々の周囲の変化に対応しながらそれでいて自分という「個」を見失わずに逃げないで前に進み続ける事、「正直に正しい努力をすればいつか必ず報われる」と信じることが大切だと思っています。

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今年の世相を表す漢字は?

師走になり今年の世相を表す一文字が清水の舞台で発表されました。「北」に決定です。未来志向の言葉ではありませんでした。現在の日本や国際社会は北の核の脅威をどうにか食い止めなければなりませんが、なかなか思うようにいきません。また北の拉致被害の解決も被害者家族の高齢化からすれば待ったなしです。そのような事を全て踏まえて日本国民が「北」に対してしっかりとした立場で臨まなければならないことでこの言葉が選ばれたのでしょう。当初の私の予想では「排除」や「忖度」なども有力候補でしたが、やはり未来志向の言葉ではありません。またアメリカファースト、都民ファーストが流行しましたが、それよりも日本国民ファースト若しくは人類皆兄弟で人類ファーストの方がよいと思います。しかし人間皆自分勝手ですので、「自分さえよければよい」から「自分の地域さえよければよい」へと拡大してやがては「自分の国さえよければよい」となります。挙句の果てに「人類さえよければ後の自然や動物などどうなってもよい」という思想に変わっていきます。その典型例が「核開発」であり「パリ協定離脱」につながっていきます。「ファースト」はそのような暗い世相を反映するような意図を感じる言葉に成り下がってしまいました。それまでは「ファースト」は巨人の王選手やイチロー選手の「イチ」を想像していましたので、同じ響きの「ファースト」でも雲泥の差があります。

また今年の流行語大賞は「インスタ映え」と「忖度」でした。こちらは妥当と言えば妥当な受賞ですが、インスタグラム自体私にはよく意味がわかりません。最近やっとラインをうまく使いこなせるようになりました。少し前まではラインに相手が読んだかどうかがわかる既読機能がついていることさえ知りませんでした。周囲より5年遅れでラインデビューです。他にツイッターやフェイスブックなどもあるようですが、使い方がわかりませんので使用していませんが、時にスマホにわけのわからぬ内容のフェイスブックのお知らせが届きますので全て削除しています。しかしこの行為は子供に聞くと相手を無視していることになるようであまり相手に対して良い印象を与えないようです。しかし現在でも懲りずに削除しまくっていますのでSNSを通じた友人はかなり減ったかもしれません。それでもその程度の薄い関係ならどうでもよいのでこれからもどんどん削除していきます。自分のように何でも白黒をつけないといけない性格は損なのかもしれません。同じ損ついでに漢字は異なりますが、やはり予想通りの「忖度」です。これも個人的には嫌いな言葉ですのでそのような雰囲気や匂いを感じる場所には可能な限り近寄りません。

今年も世相を表す漢字や流行語をみると現代社会を表していて一昔前の事しか知らずに20年前からパソコンを操って時代の最先端だと勘違いしていた我々世代は、PCを使えないスマホ世代からみれば本当のアラフォーかアラフィフなのでしょう。しかし「まだまだ若い者には負けてはいられない」と気持ちを奮い立てて来年も頑張りたいと思います。そもそも「若い者に・・・」ということ自体がかなり年寄り臭くなった証拠です。

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