これが最後のお受験

次男がこの春に高校3年になりまたまた我が家は受験モードに突入です。この十数年間に何度受験の年を迎えたかは数えきれません。しかし本当にこれが最後のお受験になりました。勿論、浪人すれば来年も続けて連荘になりますがそれは考えない事にします。また上二人はいずれやって来る国家試験もありますが、親としては大学に入学させるまでが世間で言われるお受験であって、大学卒業時の卒業試験や国家資格試験などはお受験にカウントはしていません。後者の試験はあくまでも本人たちの試験であって、親としては合格してもらわなければいけない事に関してはお受験と同じですが、親として気合の入れ方が前者とは全く異なるのは皆さんもおわかりでしょう。童謡に「行きはよいよい。帰りは怖い。怖いながらも通りゃんせ、通りゃんせ」という歌詞に親の気持ちがそのまま代弁されています。入学までは親の責任、そして卒業は本人の責任であるという明確な意思表示で日本では入学すれば余程のポカをしない限り自動的に卒業できます。一方で欧米の大学では全く反対で卒業までの本人の頑張りや試験のクリアがとても大変です。そのため日本では大学に入学させるまでが親の仕事でその後は仕送りなどお金の工面のみで気持ちは一気に解放されます。最後に国家試験があるとは言え合格率90%超えならばやはり余程アホな事をせずに人並みにしていれば国家資格も転がり込んでくると普通の親なら思うに違いありません。我々もそうである事を信じ願っています。だからこそ今回の次男のお受験が我が家にとって最後になるのです。

次男の希望大学の現時点での模試の合格判定はEです。これから徐々に上昇気流に乗っていかなければなりません。しかしほとんどの受験生の最初の関門は国公立入学の共通試験です。それは毎年1月中旬にあります。そのため学校側は絶対多数に合わせねばなりませんのでその試験日から逆算して授業や試験対策を進めます。しかし次男の場合は全くその試験には関係ありません。推薦入試は9月下旬で一般入試でさえも11月初旬とかなり早いのです。そのため学校任せにすると間に合いませんので、親と予備校などの力を借りて独自に進めなければなりません。そのため周囲の受験生よりも更に早めの対策が必要で、これまで次男と二人三脚で対策を進めてきたのです。それでも悲しいかな、受験対策がうまくいっているようには思えません。当事者なら誰しも同じ経験をお持ちでしょうが、お受験に対してはいくら勉強をして頑張っても合格発表までは生きた心地がしないのです。「そんなことないよ。受験は子供自身の問題で自ら切り開くもの」と反論する方もなかにはいますが、それは私からすれば「親が子供に対して出来得る最大限の努力を放棄」しているだけだと思います。どちらにせよその試練を超えて子供も親も成長するのです。

そんなこんなで9月まで残り半年を切りました。世の中は新型コロナのワクチン接種でてんやわんやですが、私個人は新型コロナなんかどうでもよいくらい別のプレッシャーによってテンパっています。

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束の間の子供たちの帰省

今年の正月は新宿の寮に住む東京の長男は、新型コロナの蔓延と1月の第1週から後期試験がありましたので帰省しませんでした。その後も再試験や総合試験などがあり結局全ての試験結果が発表されて進級が確定したのは3月中旬でした。そして束の間の春休みを満喫して4月1日から新学年の授業が開始です。長女も同様で後期試験は2月下旬に早々に終了しましたが、進級発表が同じく3月中旬でした。首都圏の緊急事態宣言は3月21日には解除されましたのでそれを見越して春休みは久しぶりに二人とも帰省させました。いつまでも自粛はできませんし、3月に入ってからの東京の人の動きは大人数での飲み会などは控えられているようですが、近親者などの小グループでの会食などは行われて人出もほとんどコロナ前と変わらないようです。田舎が思う程都会の人々はコロナ慣れとコロナ疲れのために自粛しているようには思えません。現在は日本中で昨年のように田舎への帰省は不可というような雰囲気はありません。よって今回の春休みは帰省をさせました。次男は親の車での送迎があれば週末に帰省は可能ですが、連荘での佐賀までの往復は親の方がたまったものではありません。県内の他の親御さんはそれでも送迎しているようですが、元来出不精で車の運転が好きではない我々にとっては苦痛でしかありません。そして昨秋からiPADでの学習が寮で公に認められましたのでそれを使用して一緒に勉強をしながら連絡も取れますので正月以来帰省はさせていません。現在は通信網の発達により離れていてもいつでも顔を合わせることが出来てあたかも一緒に暮らしているような疑似体験ができます。それでも家族5人が一堂に会する機会はとても重要ですので子供たちの日程を調整して3月下旬の5日間帰省させました。

最初に長女が帰省しましたので彼岸の週末には3人でふぐ刺しを食べに行きました。本当は5人でと思ったのですが、日程と予算が合わなかったことは寧ろラッキーだったかもしれません。その後遅れて次男と長男が順次帰省しましたのでその翌週は皆でイタリアンや焼肉や寿司などを食べに行きました。いつも別々に住んでいますので家でゆっくりおふくろの味も悪くはないのですが、あまりにも短い限られた時間ですので旨い物を食べながら少しでも会話をしたいというのが本音です。食べる以外は各々スマホを見てピコピコしていますので結局は離れていようが一緒にいようがあまり関係ありません。現時点では次男とiPADでのコミュニケーションが付きつ離れずベストの選択と思います。日常生活ではお互いに干渉せずに離れているもののほぼ毎日相手の顔を見て連絡が取れる繋がりを持ち三食は寮や学食での他人様のまかないつきのため家内もとっても非常に楽なようです。それでも年に数回は帰省してお互いの顔を見る事も必須なのです。

今回の短い子供たちの帰省も一瞬で終わり、一人ずつ徳山駅まで送迎する度に寂しさが増していきます。大トリの次男を送り出すとまたガランとした我が家は夏休みまではしゃいだ声を聞けません。春なのに急に空気が冷たく感じられ冬に逆戻りしたようです。

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新型コロナワクチン集団接種の模擬訓練

今年の春の桜の開花は今までで最も早く開花宣言が下関で出されました。その開花宣言から数日したポカポカ陽気の木曜の午後にキリンビバレッジ体育館で周南市主催による新型コロナワクチン集団接種の模擬訓練が実施されました。キリンビバレッジのある周南市総合公園は桜の名所でもありますが、まだ当日は開花していませんでした。周南市で私の知る限り最も早く開花するのは名前の如く二番町の桜馬場通りです。当日キリンビバレッジに行く途中で桜馬場を通ると車窓から桜並木の数本に一分咲きにも満たない程度開花していました。その時点で首都圏はまだ緊急事態宣言下でしたが、それでも桜の開花は嬉しいものです。一方でこれから始まる新型コロナワクチン予防接種は大変な事業です。その4月下旬からの一般接種の開始に先立ちスムーズに接種が施行されるために事前の練習が本日開催される模擬訓練なのです。桜のほんわかとした春の陽気とこれから始まるピンと張り詰める緊張感がとても対照的に感じられます。本日の模擬訓練の目的は実施する際の問題点の洗い出しです。やってみると意外な疑問や課題が浮かび上がってきますので実際の接種開始までにその問題点を洗い出して解決していかなければなりません。

当日は我々医療関係者も20人近く参加しましたが、実際の被接種者や会場受付や誘導などの人員確保のために50人近くの市役所職員の方の参加もあり報道機関などの参加も含めると総勢100名近くの参加者がありました。まずは冒頭に市長の挨拶があり、その後各部署に分かれて段取りの説明がありました。そして午後2時から実際と同じパターンで訓練の開始です。私は被接種者に対しての新型コロナワクチン予防接種の問診及び診察をして接種の可否を判断しました。実際にワクチンを接種するのは看護師になります。事前に新型コロナワクチン接種の要項やワクチンの内容、そして問診票のチェックなどは確認済みでしたが、それでも実際に訓練が始まると物品の配置から人の流れ、そして問診の内容に至るまで様々な場面で疑問が生じてきます。その疑問点を訓練後のディスカッションで意見として上げて今後の実際の本番に向けて改善していきます。

実際に30分で二人の医師でおよそ30人の問診をとり接種の可否を判断しますが、本日の問診者は高齢者ではなく若い方が多かったために会話や移動などもスムーズで接種も滞りなく行われました。しかし実際に接種が高齢者だったらこんなにスムーズにいくとは限りません。問診のチェックの内容確認や移動なども時間がかかります。本日の模擬訓練と比較すれば2倍近く時間がかかるのではないかと思っています。これも事前にやってみて初めてわかるのであって本日の模擬訓練は実のあるものでした。訓練終了後にディスカッションをしましたが、私同様に他の参加者の皆さんもそれぞれの部署で様々な疑問や意見が出されました。その意見を次回の委員会への持ち越しとして午後3時過ぎに終了となりました。暖かい春の日の午後にこれから始まる大規模作戦の前哨戦をいち早く体験させてもらいました。

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医者は算数脳か国語脳か

以前も似通った話をしたことはあるのですが、自分自身が理系で数学を得意として逆に英語や国語という文系は苦手でした。よって数学的な論理的な組み立て方は得意でした。その数学は一般的には思考の学問と言われています。先日東大医学部を出て現在精神科のクリニックを開業しながら受験数学に精通されている和田先生のコラムを読みました。そこには「受験数学は暗記である」とはっきり書いてあります。その内容は私も以前から数学に関して同じように感じていたけれども口に出すまでには至らなかった思いと一致した瞬間でした。数学の試験問題を解くには最低のルール即ち数学の言葉では定理や公理があります。簡単に言えば1+1=2であるというのは生きていく上での常識でこのルールの上で計算問題が作られて小学生にドリルの宿題が出されるのです。ですから受験数学もいろいろな定理を暗記してそれを組み合わせた例題を解いてそのパターンをある程度暗記してから色々な入試問題にチャレンジしていくのです。

一方で医学に目を向けるとその過程はまさに数学的思考そのもので論理を進めて診断に至るのです。色々な体の仕組みや生理的現象を丸暗記してその数値や現象をフローチャートの流れの如く進めていく先に確定診断という解答があります。そしてそのロジックに沿って薬を投与し、または手術をしてより良い正解を出していきます。医学部受験は一見全く将来役に立つとは思えない数学が必須でその成績が医学部の合否を決めると言っても過言ではありません。以前は医師に大切なものは数学的知識よりも国語的知識で即ち文系の方が重要であると考えていました。それは相手からその情報を探り出す技術は数学的思考よりも国語的思考要素の方が強いと考えていたからです。数学的思考要素として必要な事はコンピューターや電卓のある現在では四則計算のみで十分とも考えていました。

この一見相反する医者は算数脳か国語脳かという迷題に関して、まず医師という仕事の根幹には暗記数学と論理的に物事を進める論理数学が絶対的に必要であることは間違いなくこれが算数脳たる所以だと思われます。それと同時にコミュニケーションや相手を納得させる論理的な国語脳が必要なのです。また医学は日本語だけでは通用しませんので英語も必須科目です。よって医学部受験には英数国が必須ではないかと最近は考えています。更に物理や化学や生物も医学部受験では必須ですが、これは基礎的な医学知識を習得する上で必要です。ですから結局は医学部の受験は英数理を一次試験で実施して二次試験で小論文や面接で国語能力や人間性を見ることに整合性がかなっています。

つまり最初の医者は算数脳か国語脳かという命題に対しての解答は理科と数学的な知識と論理を根底にして国語的なコミュニケーションが医者には必要という結論になります。しかし本当に自分は医者として算数脳と国語脳を兼ね備えているかと聞かれたら自信を持ってYESとは答えられません。まだまだ不十分です。「人生死ぬまで勉強」とはよく言ったものです。

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新たな才能を発掘するには

才能とは天から与えられた贈り物でそれをいかに磨くかは各個人の努力です。しかし遺伝子という最初からの格差はいかんせん埋めようがありません。ですからどこの世界でもその道を究めた人物はその道の才能があってそれをうまく引き出すことが出来た人物と言えるでしょう。一方でいくら才能があったとしてもその才能を発揮する機会に恵まれない場合や生きている間にその隠れた才能さえ発見できない人も多くいます。現代社会には非常に多くの職種があり多くの場面があります。各個人の才能を発見して磨くシステムがあれば社会の中で各個人のチャンスが更に増えて社会貢献も増えるはずです。

ではその才能を発見して育てていくシステムとはどういったものなのでしょうか。多分それは幼少期から成人するまでのほんの20年弱ではないかと思います。その間に必要な教育を受けて基礎となる土台を築かなければその上に何を乗せても大成しません。日本ではその最初の土台構築には義務教育という非常に優れたシステムが存在しますので読み書きができない人はまずいません。しかしその土台作りの後の二段目を伸ばす教育は、日本ではそれこそ画一的そのもので、思春期以降に伸ばせるものも伸ばせない環境に置かれているのではないかと以前から思っていました。6・3・3の12年教育を戦後日本はずっと維持してこれからも変わらず続いていきますが、この画一的教育方法が逆に多種多様に富む各個人の才能を伸ばす弊害になっています。今の教育システムでは高校入試や大学入試という狭き登竜門の切符を得るという目的のために学校と塾と家庭が護送船団として一体となって、特に後半の中高の6年間が費やされます。やりたい目標が名家腕そのために希望する大学に入学するのであればそれで良いのですが、人生をたかだか20年も生きていない人間で自分のやりたいことが決まっている若者なんてまずいません。あなた自身の高校時代を振り返ってみて当時「あなたは18歳の時に自分の将来で何をしたいか」決めていましたかと質問されればおそらく「NO」という方が多いのではないでしょうか。

ではその画一的な護送船団方式教育から抜け出して新たな才能を見出そうとすると現在の教育システムでは一般社会が多分それを許してくれません。まず「入試で結果を出しなさい」と天の声が聞こえてきます。しかし数年後の大学卒業の頃には年齢も重ねて就活もあり、もう一度自分の才能を発掘し直してみようという気は起こりません。アメリカでは何度も転職を繰り返すことで個人のキャリアに磨きをかける事ができますが、日本での転職は必ずしも良いとは限りません。それでも最近の日本はマシにはなってきましたが、もっと自由に動いても文句を言われない風通しの良い社会になる事を期待します。もう一点は幼少期から本人の隠れた才能を見出してそれを伸ばす事ができる教育システムが既存の6・3・3のシステムの前に6を追加して6・6・3・3システムにすべきですが画一的では意味ありません。これからの少子化社会では小学入学前の6年間にいかに子供の多種多様性を求めて発掘できるかがこれからの日本の未来を決めるのです。

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