中学同窓会は5年ぶり~前編~

お盆の週の日曜に中学の同窓会を開催しました。5年前に同窓会をして以来です。前回は住所録の作成のための同級生の実家訪問をして行方捜索の案内状などやることはてんこ盛りでかなりハードでしたが、その分同窓会が盛会に終了したときには感無量でした。今回は住所録ができているために前回のようにハードスケジュールではなく余裕で、往復葉書などの印刷をする担当者が一番忙しかったのではないかと思います。前回と今回の2回の経験から開催にあたり住所録作成という情報集めが一番苦労するということがよくわかりました。今年の年賀状でまず同窓会告知してその際に所在不明で返送されてくる年賀は前回から行方知れずになった同級生です。それはラインなどのSNSで当時親しかった同級生に送って探し出します。次に5月の連休前に正式な往復葉書の案内状を一斉発送します。後は待つだけで、結局今回も300人中前回からの行方知れずの同級生がやや増えて約8割の240名に発送して75名が当日出席となりました。また今回の目玉は当時お世話になった御健在の恩師5名お呼びしたことです。前回は最初の開催で先生がいない方が盛り上がるのではと考えてお呼びしませんでしたが、今回お呼びしなかったら次回の6年後にはご高齢の先生の出席が不可能になるのではと危惧されましたので出席していただくことになりました。

同窓会でも小学校は当時の記憶や自分たちがあまりにも幼い年齢のために開催するにはなかなかハードルが高いと思います。高校の同窓会は発起人さえしっかりしていれば一番やりやすいと思います。なぜならある程度大人に近く卒業後も連絡をお互いに取り合うグループがそれぞれ存在していますので住所録も作成しやすいし出席に関しても現在でも交流のある友人が出席すればついでに自分も出席ということになりやすいのです。一方で中学の同窓会は一番厄介です。仲間内でのクラス会なら地元に住んでいる者同士で飲み会を開いて20人程度はすぐに集められます。しかし全体となると地元にいない同級生、商業から工業高校、普通高校、そして一部は就職している同級生もいて現在の就いている職種も本当に多種多様です。言い換えれば当時の同じ地域の同じ年代で仲良く遊んだ友人でも30年も経過すれば職種や考え方の違いに加えて地元に実家もなく物理的な距離の問題もあるためなかなか多くの同級生を呼ぶことは困難なのです。今でもその思いは変わらないのですが、前回の同窓会では300人中8割の方に案内状を送付できて約100名が出席しましたのでやればできるものだと感慨深い思いでした。しかも個人個人の生き方は高校や大学の同窓会と異なってそれぞれ波乱万丈にとんでいます。ただその15歳という同じ時代を生きたというだけで現在の共通点なんて全くない同級生も多くいます。しかし会ってしまえば「お久しぶり、元気だった?今、なにしてんの?」から始まり当時の少年時代にタイムスリップできる本当に面白くもあり不思議な集まりなのです。前置きが長くなりましたので率直な感想は次回のお楽しみに!

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今年の花火

地元で43年前から続く夏祭りでサンフェスタ新南陽があります。広域合併で周南市となった後も毎年8月の第1土曜日に新南陽駅前で開催されます。今年も夕方早くにひとっ風呂浴びてからタオルを首に巻いて駅前の行きつけの焼鳥屋のカウンターで道行く人々を眺めています。少子高齢で子供が少ない県で有名な山口県ですが、このときばかりは幼稚園から高校生までそして若いカップルや幼児を連れた親子連れがホコ天を他の人とぶつからないようにぬうように歩いていきます。「まだまだ富田も捨てたもんじゃないなあ」と生ビールを一気に飲み干してから焼酎のロックをいただきながら道行く人々の人間観察です。

そのうちほろ酔い加減の頭の中でタイムスリップが始まります。中学生の頃ではっきりしませんが、セピア色のフォトがはっきりと脳裏に蘇ってきます。目の前の通りに当時の私が暑い午後のクラブ活動をした帰りに祭りに立ち寄ってジュースを飲んでいます。ちなみに私はバレーボール部でしたが、体育会系のクラブはどの部も顧問の先生も悪いことをした時にはビンタや拳骨は当たり前で挙句には拳で頬を殴られ足で蹴られることも日常茶飯事でした。今の時代から思えば隔世の感がありますが、それはそれで今でも当時の先生は当時としては正しかったと思っています。また当時は地球温暖化という言葉すら存在しませんでしたが、夏のくそ暑い中で水分補給なんてもっての外の根性論が主流で「巨人の星」の世界でした。今の子供たちに「巨人の星」といってもわからないと思いますが、50歳以上の人ならわかる「中年の星」のスパルタ、ド根性物語です。殴られても蹴られてもちゃぶ台をひっくり返されてもひたすら耐えぬいて巨人のエースをつかみ取るという当時の「おしん」物語です。今でも同窓会などで当時の先生と話すと笑って頭を掻きながら照れておられます。おっと話がかなり逸れましたが、そんな8月の暑い土曜日の午後のクラブ活動後に友人と帰り際にジュースやかき氷を食べて帰るという非日常的なワンショットで私の記憶に鮮明に残っています。あたりが夕闇に包まれる頃にはかなり出来上がってきましたが、夜9時からの花火だけは絶対に見逃すことができません。ふらつきながらも帰宅してちょっとの間ですが、仮眠をして午後9時に備えます。昨年までは子供たちを焼鳥屋に連れてきていたのですが、今年は一人飲みです。子供たち4人で来た焼鳥屋の記憶のフォトを見つけると余計に早く酔いが回ってしまったのかもしれません。

夜空に響く花火の音でウトウトしていた夢のはざまの世界から一気に現実に引き戻されます。急いでベランダに出て毎年のことながら花火鑑賞をするのですが、やっぱり今年は家内と二人きりの花火です。長女はテニス部での合宿、長男は大学受験の天王山、次男は佐世保の友人の家にグループで遊びに行っています。花火の音も幾分かは寂しげに聞こえるのは気のせいでしょうか?帰り際に焼鳥屋のおばちゃんが「子供が大きくなったら家族皆で一緒に時を過ごすことが難しくなるので少しでも一緒にいる時を大切にしなさいよ」と言われたのが妙に心に染みながら夏の夜の花火を見上げていました。

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横須賀の防衛大学見学~後編~

前回は自衛隊の存在意義について個人の見解を述べましたが、「百聞は一見に如かず」で防衛大学のオープンキャンパスにやって来ました。まだ次男は中学2年で数年先には希望が変わるかもしれません。我々親が子供と関わる「今がファースト」で大学受験は遥か先ですが、遥か彼方の横須賀までやって来たわけです。まず地理的に防衛大学が三浦半島の先端にあることすら知りませんでした。唯一知っていたのは学費が無料で更に国家公務員で給料が出ること、卒業したら原則自衛隊勤務をすることくらいです。それくらいの全く知識のない状況で防衛大学の正門をくぐりました。梅雨明けしましたが、当日は曇って過ごしやすい1日でした。ピンとした空気が張り詰めて気持ちのよい海風が吹いてきます。

最初に感じたことは防衛大の雰囲気の明るさにびっくりしました。20歳前後の若者ですから当然と言えば当然です。全寮制で朝から晩まで厳しい規律に則って教育や訓練がされていますが、暗さなど微塵も感じられません。講義や訓練などの一般公開も見ましたが、次男は目を皿のようにして食い入っていました。その横顔を見ていると本当に5年後に行くかもしれないこの学校を予め見に来て本当に良かったと思います。そして気の早いことですが、もし入学すれば国家公務員となり厳しい教育訓練を受けて4年後には総理大臣が卒業式に出席され卒業証書授与の後に体育館の天井に向かって白い帽子を投げる姿を想像してしまいました。やはり親バカです。まだまだ先のことで鬼も笑っています。

以前から中学受験で東は奈良県から西は鹿児島県まで10校以上の文化祭や学校説明会に家族旅行の一環としてこの10年で行きました。子育て教育に関わる我が家の一大イベントでした。オープンスクールのみの一瞬ですが、それぞれの学校の校風を見てきたのは今となっては大きな財産です。しかし今回の大学のオープンキャンパスはかなり景色が異なります。まず大学まで親が関与すべきかどうかということですが、国会で話題の憲法改正と自衛隊の海外派遣への関与は送り出す子供の親としては当然考えなければなりません。なぜなら将来子供たちが武器を持って命を懸けて日本国民を守る為に海外に出ていかなければならないかもしれないからです。現時点で次男が自衛隊に興味を示して防衛大学に行きたがっているのを「危険だからダメ」と親として簡単に言う事はできません。数年すると考えが180度変わるかもしれません。変わることは決して悪いことではなく、その変遷の過程でその時々に直面した課題を逃げずにしっかりと解決していくことこそが子供への親の関与だと考えています。ですから今回の防衛大学のオープンキャンパス見学は3年後の次男が高校生の夏に行くよりも早めに防衛大学生の目の輝きをこの目で確かめたかったのです。子育ても残り56年で終了するところまでやってきました。親として悔いのないように邁進したいと思っています。今回の掲載写真は防衛大学を象徴する建物と防衛大学生が一斉に昼食をとる大ホールです。一度に2000人近くが一斉に集まるのですからだだっ広く私を含めて入ってくる見学者皆が一様にその広さに驚いていました。

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横須賀の防衛大学見学~前編~

以前から次男は自衛隊に興味を持っています。昔は航空自衛隊のパイロットになることが夢でした。しかし視力が悪く現時点ではレーシック手術がパイロットに認められていないため、いつの間にか海上自衛隊に興味が変わってきました。また以前から毎年の防衛省から発刊される防衛白書を買って目を皿のようにして読んでいます。ですからこと日本の防衛事情に関してはかなり詳しくその姿は今世間をお騒がせの防衛大臣がご覧になられたら感極まり号泣して喜ばれるかもしれません。そして週末にたまに帰省した時は小学時代の友人とスカイプで艦コレゲームにはまっています。現在憲法論議で日本を守る自衛隊は違憲だという憲法学者がいるのですが、個人的には国を守る人々を国が守らないのであれば積極的に憲法を変えるべきだと思います。戦争するのではなく自衛だから問題ないはずですが、その線引きが困難だと彼らは言いたいのでしょうが、それでも自衛隊の方々のご苦労を察すれば早急に安倍総理に解決していただかなければいけない問題だと思います。そのように強く思い始めたのは、将来の次男が本当に自衛隊に入隊するかは別にしても現在日本のために海外の危険地域で活動されている自衛隊員やそのご家族の心情を考慮すればその献身的な気持ちに対して日本国憲法は平等にその地位や役割を認めなければならないと思うのです。一方的に個人的な意見を述べましたが、かつての日本のように自ら戦争をしかけることと自衛のために戦うことは明らかに異なります。現在の緊張した朝鮮半島事情や世界情勢からみれば自国の平和を維持するには自衛は避けて通れないと思います。繰り返しますが、戦争という過ちは二度と繰り返してはなりません。しかし自衛隊はしっかりと日本国民が認めてあげなければなりません。将来、本当に争いのない世界がくれば憲法第9条なんて不要なのです。しかし生き物の中で一番高等で賢いと勘違いしている人間こそ一番欲深く嫉妬深い生き物ですので決して9条がなくなることはないと思います。

今年の5月の憲法記念日に合わせて安倍総理が憲法改正について9条の1、2項はそのままにして3項目に自衛隊について1行付け加えたいと言われました。世論調査でも約半分が賛成しています。しかし逆に言えば半分は賛成してないわけです。自衛隊は違憲で廃止せよとどこかの党がかつて言っていましたが、流石に現在の複雑な世界情勢と現に存在する自衛隊を解散させるわけにもいかずに最近の流れとして存在自体は認める現実路線に舵を切っていますが、それでも加憲には反対しています。どこで線を引くかはとても重要なことはわかります。そしてその線まではどんどん拡大解釈してきた戦後の与党の進め方にも問題はあったと思います。その最たるものが第二次世界大戦だったわけですから憲法改正絶対反対と唱えるのも理解できます。それを考慮しても我々を守るために自衛以外にも災害があれば危険を顧みずに真っ先に助けに来てくれる頼もしい存在です。そのような自衛隊に次男は憧れを持っているわけです。親としてはどうしてもこの目で防衛大学を見に行かなければならないと思い今回のオープンキャンパスに参加しました。詳細は次回に。

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「子供の教育を真剣に考える会」発足

先日、本日のタイトルである「子供の教育を真剣に考える会」を私的ながら発足させました。なぜこのような会が発足したかという経緯を簡単に説明します。私はあまり製薬会社の方とは利害関係が絡むため交流しないようにしています。最近は接待も非常に厳しくなり私が医師になった30年前とは雲泥の差です。そのような理由から18年前にこの新しい診療所をリニューアルオープンした時に製薬メーカーのMRさんとその会社の学術部門の方でペアを組み製薬会社対抗ディベート大会を年に2回程度開催していました。最初は大いに盛り上がり5年程度続けたのですが、マンネリ化してきたこととやはり売ってなんぼの世界ですのでどうしても利益誘導に繋がって本来の「相手と自分が切磋琢磨してお互いに賢くなる」というギブ&テイクが維持できなくなったことが原因でやめました。もう一つの大きな理由はやはり医師である自分が司会をして仕切らなければならないので、公平に判定をするには製薬会社のディベーター以上に私自身が勉強しなければならずに自分の負担がかなり増して限界に来ていたのも事実でした。そんなこんなで結局10年前にやめましてそれからは製薬会社の方がいらして薬のセールスはされるものの学問的に話す機会はなくなりました。そしてMRさんもサラリーマンですから転勤で交代していきますが、当時一緒に頑張ってきMRさんには転勤の際に「偉くなったらまた必ず来てください」と約束して今日に至ります。

当時の山口県の所長は広島の支店長に昇進され、課長だったMRさんは所長になって戻ってくる年代になってきました。今回当時一緒に勉強させてもらったMRさんと学術さんがいて10年ぶりに山口県の所長として当時の学術さんと一緒に挨拶に来られたのです。転勤されて10年ぶりの再会です。また同期の所長と部下のMRさんも連れて4人での来院となりました。あの頃のように薬に関して勉強するパワーが今の自分にないことは自分でよく理解していますので、寧ろ私の方が今回の再会には躊躇していました。いざ会えばお久しぶりと会話が弾んでいくのですが、なにせ少し引き気味の私ですので相手の出方を伺いながら「あの頃はお互いにがんばりましたね」とたわいもない無難な会話で時間が過ぎていきます。「なんとなくやばいな」という気持ちがもたげてきたので正直に「自分も歳もくってこの10年の優先順位としては仕事と同等に受験に伴う子育ても最重要課題で突っ走ってきたという旨を話しました。私はいつも迷った時は正攻法でぶつかるようにしてそれで散れば仕方なしと思っています。すると10年来のMRさんで今は山口の所長となり偉くなっていますが、実は単身赴任で子供さんが近畿の中学受験予定の小学6年生とのこと。私は受験関連にはかなり詳しいので、近畿の受験校や塾までドンピシャ当たりです。すると隣の所長さんが「実はうちは千葉の高校受験で」と切り出され、学術さんは大学受験を終えた子供さんでしたが昔の苦労話になりました。そのご縁で意気投合して仕事上の利害関係とは全く関係のない「子供の教育を真剣に考える会」が発足して8月に第1回会合です。

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