福井へ旅行 ~永平寺編~

金曜の午後の診療を終えるや否や新幹線のぞみに飛び乗り京都で乗り換えて福井へと向かいます。午後630分に徳山を出発して乗り換えを含めて夜の1045分に福井駅に到着です。本当は明日の土曜日の朝一番で出発しても昼には福井駅には楽勝で到着して午後からの研修には間に合います。今回の北陸への研修の前にかの有名な永平寺を観てみたいと思い前泊して翌日の午前中に観て周るためにこのような計画になりました。到着後は疲れて寝るだけですが、少しでもリラックスできるようにと駅前の温泉大浴場のあるビジネスホテルを予約しました。翌日は文化の日で満室でしたが、前日はガラガラです。ほんのひとときですがそれでも疲れを癒してくれます。翌日は山中温泉の老舗旅館で研修会が組まれていますが、今日は一人旅でゆっくりのんびりです。北陸には2年前に学会で金沢に来ましたが、その時には二度とこの地に足を踏み入れることはないであろうと思っていましたが、予想外の展開で今回の旅行です。だったら東尋坊か永平寺という名前しか福井では思いつきませんで、それも午前の3時間で余裕をもって観て周れる所で永平寺になったのです。別にお寺巡りが趣味ではありませんが、日本史で必ず出てくる名前ですのでせっかく行くならとばいうことで拝観です。事前に調べるとお寺のことを調べるよりもそこの土地の名物料理は蕎麦であることの方が重要で門前にはどんなお店が並んでいるかの方がとても気になります。勿論お寺の事も調べました。いろいろなにわか知識を植え込み地元の越前鉄道とバスの乗り継ぎなど綿密なプランを練っていざ出発です。

朝からよく晴れて11月初旬ですが北陸の朝はかなり冷え込んでいます。朝一番に拝観するために7時発の電車とバスに乗って745分には現地到着です。まだ拝観者もちらほらでほぼ一番乗りです。なんでもそうですが、先頭で入館すると全てがスムーズに観て周れてその後お土産やお昼も早めにとることができて午後1時までには福井駅に帰って来ることができます。永平寺を拝観しましたが、事前に調べた通りでお寺は荘厳な雰囲気の中に建っていて中の装飾品も素晴らしいものばかりでした。お寺巡りに関して全く詳しくない素人が観てもとても立派なものであることは一目瞭然でした。その後門前の蕎麦屋に入って地元特産のおろし蕎麦を食べて自宅へのお土産も買っても時間は余裕で余りました。研修会の待ち合わせ場所である福井駅改札口に午後1時には楽勝で到着です。お互いに顔なじみの会員と一緒になり本日の研修会場に向かいます。本日の研修会場は会員のうちでこの春に開業された精神科の先生の診療所です。精神科と言っても鉄筋3階建てでかなりの規模です。そして仕事内容も精神疾患から児童精神学までの幅広い分野で複数のDrでされています。開業前の設計から開業後のノウハウまで一緒に研修会で意見を出し合ってその知恵の結晶として今この地に建っているのです。ですから自分の建物ではないのですが行く前からとても愛着が湧いてきます。そこで夕方までの3時間見学とこれからのストラテジーの研修会です。この続きは次回に。

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守る約束と反故にする約束

久しぶりに友人とばったり出会って「久しぶり!今度飲みに行こうよ!」というのも大きな意味では約束になりますが、本当に約束が守られるかというと社交場のリップサービスでお互いに約束とは思っていないことも多いです。また「来週までには必ず資料を提出せよ」と上司から強い口調での命令は優先順位が一番の約束となります。そして子供と週末遊びに行くと約束していたお父さんは泣く泣く子供に「約束を破ってゴメン」と謝って約束は守れなかったことになってしまいます。家庭内や職場でも約束は至る所で発生しています。家庭内や職場の中での約束は世界を眺めてみてもどこの国でも約束は守るのが当然という意識は各国共通です。

それでは国家レベルに目を移してみましょう。一般的に日本人は昔から一旦約束をすると意地でも守り抜く傾向が強いように思えます。それは武士道から来ているせいでしょうか?一方で騎士道からの流れの欧米人は約束をするけれども途中で反故にしてしまうことが多いように思っているのは私だけでしょか?例えば国連への加盟国金に関して日本は金払いがよいのですが、欧米各国は各国の負担割合は決まっているのにゴネます。TPPに関しても米国が言い出しっぺで日本を巻き込んできたのに政権が変わると掌を返したように自ら逃げていきます。ルールにのっとった脱退ですから日本として文句を言うのもおかしいのですが、何となく違和感を覚えます。温暖化対策のパリ協定からの米国脱退は流石にあの約束を守らない中国の国家首席でさえも困惑の顔を浮かべていました。一方で北朝鮮の核問題では米中の約束はなかなか中国が守ろうとしませんし、韓国の慰安婦問題は紆余曲折後に両国の政府の間で約束をして金銭まで日本から拠出したにも関わらず、韓国はその約束を反故にして「金は返せばいい」とアホなことを言っています。拉致問題は究極の日朝の約束を反故して北朝鮮は無視し続けている状況です。このように個人間では約束を守らないと相手の信用がなくなり社会で生きていけなくなりますが、国家間では約束を守らなくても経済制裁されてもどうにか細々と生き延びることが可能のようです。

最終的に「自国がよければそれでよい」という保護主義となりその先頭を走っているのが米国であり、追従して中国や韓国、北朝鮮が追っかけています。どこの国でも子供に対する教育では「嘘をつくな、約束は守れ」と親や教師が口を酸っぱくして教えているはずなのにいつの間にかいい大人になると嘘をついて約束を守らなくなります。他国の批判ばかりしましたが、日本でも最近同じような風潮が顕著になってきているように思えてなりません。なぜか?と考えるのですが、現時点で的確な答えはもっていません。しかし一つだけ言えることはいい加減に育てられた人間は絶対に嘘はつくし約束は守りません。厳しく育てられて嘘もつかないし約束を守る人間であっても環境によって変わることなんてすぐにできます。最後はどれだけ自分若しくは自国を律するかです。幸福の国ブータンの詳細は知りませんが、きっと世界一嘘をつかないで約束を守る国ではないかと思います。

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今年は晴れた長女の学園祭

昨年は関東地方に台風接近で朝から大雨の長女の学園祭でした。簡易のレインコートをかぶっても学校に到着する前にズボンの膝下はすでにびしょ濡れでした。そんな中で学園祭を観て周りましたが思うように見ることができずに長女の寮も観に行く予定でしたが、急遽中止となり満足な一日ではありませんでしたので、1回きりと思って昨年行った学園祭でしたが、来年もう一度と思って早一年です。もう長女も3年になり中堅となりました。昨年は屋台の実働部隊でしたが、今年は屋台の仕事はありません。そこで今年は学校内の案内と寮の見学です。今回は朝から秋晴れで絶好の行楽日和です。寮の前で待ち合わせは昼前ですが、前日は学校も休みで深夜まで友人と遊びまくったみたいでかなり朝からお疲れモードです。こちらはこちらで前日は長男の予備校の面談を終えて渋谷で夕食をとり久しぶりに都会の夜を満喫しました。こちらは年齢からややお疲れモードになるかなと思いましたが、意外に元気で早朝から目が覚めてソワソワしています。

最初に向かったのが寮ですが、駅から坂道をタクシーで上ること約15分です。初めて景色をキョロキョロとしながらの道はかなり遠く感じられます。寮の前で下車すると、多分この寮に来るのは今日が最初で最後でしょう。しっかりと記憶に留めておかなければなりません。長女の寮の部屋を見てから今度はバスで学校まで向かいます。学校に到着すると長女に連れられて校舎巡りです。学園祭を見るのも勿論楽しいのですが、それ以上に学校案内を楽しみにやって来ました。やはり我が子がどういう教室で授業を受けているのかといったことの方がとても気になります。教室の中までは入れませんが、その雰囲気からふと30年前の自分の姿とだぶらせてしまいます。時も場所も全く異なるのに目の前には若かりし自分が立っています。幻想ですが、過去と現実が入り乱れます。いくら年月が経過しようとも青春の日々の記憶は色褪せていません。

それから学校のメイン通りに並ぶクラブ単位の屋台で食べ物を買って長女とその友人にも渡します。その売り上げが本日夕方からの打ち上げの飲み会の資金に回りますのでほとんど寄付行為になりますが、それでも若者の活気に満ちた雰囲気の中にいるだけでこちらまで元気をもらえます。昨夜の予備校の進路相談やその前からの積もる不安などいろいろな事が頭の中で渦を巻いていましたが、それもこの秋晴れの中で若いエネルギーをもらうとまた明日からがんばろうと思えます。ほんの3時間あまりの学校見学でしたが、とても有意義な時間をかみさんと長女で共有できてよかったと思います。これで長女の学園祭にはもう行かないと思いますが、来年もまた来ているかもしれません。

ところで長男はというと昨日は一緒に夕食を食べましたが、今日は朝から全国模試を受けています。本日でメジャーな全国模試は終了していよいよ本番の試験までおよそ100日となります。来年の学園祭は長男の学校の学園祭を観に行くことができれば言うことはありませんが、そればかりは神様しか知りません。

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正しい医療と知識を伝えていくには

最近、高齢者の患者さんがよく「昔より身長が縮んだ」と言われます。昭和の時代にも同様の事はあったはずですが、人生100年を迎えようとする平成の時代に高齢者が増えたことで以前は小さかった声が大きくなっただけのことです。声が大きくなれば医療人もその声に真摯に向き合わなければなりません。以前なら「目が薄くなったので気のせいでは?」などとはぐらかすこともできたのですが、現在ではいい加減なことも言えません。昔なら骨粗鬆症という医学用語もそんなに使用されませんでしたが、現在は健診でもテレビでも頻繁に登場します。ですから少しでも検査値が高齢者の平均値から外れてしまうと骨粗鬆という病名がついてしまいます。すると骨粗鬆症の薬を処方しなければなりません。薬を処方することは医療としてまちがっているとは思いません。しかし高齢で人生の終末の人が骨粗鬆なんて当たり前なのです。ですから治療しなければいけない骨粗鬆症としなくてよい骨粗鬆症があると個人的には思っています。全ての骨粗鬆症に薬が必要とは限りません。ではどういう場合に必要なのか?第一に高齢者でも元気で社会生活を全うできる人は必要でまた過去に脊椎の圧迫骨折をしている方は今後の予防として必要です。逆に老衰や癌の末期などには不要でしょう。優先順位としてまだこれから骨粗鬆症により生活が制限され更なる医療が必要になる場合には予防的に薬が必要なのです。予防よりも現在進行形の治療が優先される場合は優先順位の低い治療は不要な事も多いのですが、その線引きは非常に難しく一医療人としてはなかなかできません。ですからどうしても最終的には本人の意思が重要になります。

次に循環器内科的治療で急性心筋梗塞の際に心臓血管カテーテルという緊急手術があり1980年代に始まりましたが、当初は80歳を過ぎたら施行しませんでした。それは当時の平均余命や手術による合併症などを考慮してのことです。しかし医療の進歩と元気な高齢者が増えて人生100年を迎えるに至った現在では、元気で日常生活に支障をきたしていなければ100歳でも本人や家族の希望があれば治療として行うこともあります。医療人としては目の前に死にかけた患者さんがいれば助けます。当たり前のことです。別に医療人は厚生労働大臣でも財務大臣でもないので医療にかかるお金のことは関係なのです。一方で医療費は今後も高齢化社会が一段落する30年先までは上がり続けます。若い人に振り分けるお金が減れば更に医療に充てるお金が減って悪循環になります。私が総理大臣になってもこの問題を解決できませんが、今自分にできる事といえば正しい医療をすることは当然の事ですが、それ以上に高齢者、そして私たち世代の高齢者予備軍に正しい知識を教えることです。例えば煙草は人間の嗜好品として歴史があり早々に禁止することは不可能ですが、もし煙草というものが現在発明された物ならばその発癌作用で製造禁止になるのは明らかです。そのような本当に大切な事や真実を医療人として一般の方々に理解していただけるようにこれからも日々努力していきたいと思っています。

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生活習慣病を改善するには?

生活習慣病を改善するには読んで字のごとく日常生活の習慣を改善することです。しかしそう簡単に生活改善はできません。昔からずっと続けてきた自分の生活スタイルを変えることになるのですから並大抵の努力では困難だと思います。仮に健診で「あなたが早期肺癌で治療すれば治ります」と言われたら明日からでも煙草は禁煙外来に行かなくてもやめることができるかもしれません。一方で「末期肺癌で余命幾ばくもありません」と言われたら禁煙する価値を見出せないでしょう。つまり生活習慣を改善するにはそれなりの目標や変える事によるメリットがはっきりとしていなければ難しいのです。そして仮に生活習慣を変える事ができたとしてもその変えた習慣をずっと継続しなければなりません。つらい受験でも数年先の合格というゴールが待っているから続けられるのであって一生合格という目標のために受験勉強を継続することは不可能です。まだ発症もしていない病気を未然に防ぐために今まで築いてきた生活習慣を変える事は至難の業です。それは持って生まれたその人の性格を変えよというのと同じくらい困難な事ではないでしょうか。人間なかなか持って生まれた性格を変えることはできません。生活も性格も言葉は似ていますが変える事もなかなか困難です。それではどうすればよいのでしょうか?

私にもこれといった妙案はありません。それでも過去に経験した実績でうまくいった事例はいくつかあります。第一に恐ろしい病気を早期発見できた場合にはそれが生活習慣を変える最も大きな動機付けに繋がります。そのためにはこまめに毎年人間ドックを受けて癌検診をすることです。年1回きっちりと癌検診をしていればそんなに手遅れの癌になることはありません。それで手遅れになるくらいなら何をしても無駄です。一方で脳梗塞や心筋梗塞などは人間ドックでも早期発見することは困難です。癌は一つの癌細胞が倍々に増えて一定の期間で増加していきますので画像診断で早期発見されやすいのですが、血管が閉塞する病気は血管が7割くらい狭くなるまでは自覚症状はありませんし、いくら注意しても残りの3割は一瞬のうちに完全に詰まってしまうことが多いのです。塞栓という心臓に血栓という塊ができてそれが頭や心臓など全身の臓器に流れて行って閉塞させてしまうからです。ですから生活習慣病はどちらかというと時系列的に進行する癌よりもある意味厄介な病気なのです。また癌は極端に言えば、切れば助かるし手遅れなら諦めるしかありませんが、脳梗塞や心筋梗塞は最近の救急医療の進歩で昔と比較して亡くならずに助かることが多いのです。助かっても寝たきりや麻痺など後遺症を残して本人や家族が残りの人生に予想外の時間やお金や苦労を費やしてしまいます。だから生活習慣を変える事、それはその人の性格を変える事と同じくらい大切な事だと個人的には思います。ではどうすればよいか?それは最愛の人、それは配偶者や子供、または親友かもしれません。その人に「これからもずっとお前が必要だから」と言われる人生の動機付けが必要なのです。

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