除草

毎年桜が散ると木々の芽が出始めて新緑の季節になります。1年で気候も一番よく植物はどんどん成長していきます。まるで子供の成長と同じです。一方で雑草もどんどん生えて3月までは綺麗だった場所に草がぼうぼうとなります。本当にあっという間の出来事で1週間前は生えてなかったのに1週間後は土が見えなくなって緑に覆われてしまいます。毎年同じことの繰り返しですが、今年も除草の季節になりました。昨年までは両親が知り合いに頼んでやってもらっていましたが、今年からは経費削減で私の仕事となり少々の小遣い稼ぎをさせてもらうことにしました。昨夏ぼうぼうの生い茂った草と所々に鳥が木の種を運んで来て植えてくれたのか3m程度の木まで混じっていました。昔から見ていていずれは面倒になるなと思いながら放置していたのですが、流石に見るに堪えられなくなり昨夏に剪定の業者に依頼して2日間で3万円ばかりの出費になりました。最初はなかなかおいしいバイトかなと人ごとに思っていましたが、昨秋に一度今年の春に雑草が生えないように草抜きをして除草剤を撒きました。それでおよそ2時間ですが肉体労働というよりもしゃがんで同じ体勢維持をする方が大変で腰が痛くなりました。いつも机に座って事務仕事の多い人間が慣れない肉体作業をすると大変な事が身に染みてわかりました。

その除草をする際にはどんな除草剤が時間短縮してコスパに優れているのでしょうか?その疑問に応えるべく情報収集から始めました。知人からの情報でラウンドアップか根こそぎという除草剤がいいという口コミ情報も得ていましたので、その2種類を中心にネット検索です。調べると葉から吸収して根まで到達してその草そのものを枯らしてしまう製品と土に撒いてそこから新しく生えてくる草を生えないようにする製品もあります。一般的に現在は草ぼうぼうで困っているのですから前者が優先となります。過去に草取りをして腰が痛くなったことは結構ありますが、その知識があったら無駄な草抜きなどせずに楽にできたことが何回あったことでしょうか?無知は生きていく上で損をすることを改めて認識しました。勿論、除草剤を撒いて良い場所と行けない場所も理解しました。いくら根に入って枯らした後には無害ですと言われてもその除草剤そのものに手を触れたりすればよく水洗いをしなければなりません。子供が口に入れるのはもっての外ですが、人が歩く道や野菜などを周囲に植えてある場所では駄目なのは当然です。その点は細心の注意を払わねばなりません。

結局まずラウンドアップで草を枯らして根こそぎで生えてこないようにしましたが、昨秋以後の草が生えてきましたので同じ作業を3月下旬にしました。これで今シーズンは終わりかなと思っていましたが、この2週間で一気にまた草が生えてきましたので3月に続いて今回は連休前の晴れた木曜の午後にラウンドアップのみ撒きました。この季節は暑くもなく寒くもなく丁度良いのですが、重装備でする作業では汗びっしょりです。そして植物の生命力には改めて感心させられました。

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ゴールデンウィークの過ごし方の変遷

今年のゴールデンウィークは勉強三昧でした。体よく言えば知的に過ごした連休となりますが、実際は二次関数の最大、最小値との格闘です。物理は作用反作用やつりあいや重力などの力学、化学は電解質のイオン解離などもしました。やるうちに昔の知識が少しずつ蘇ってきました。最近は盆、正月とゴールデンウィークは遊びに行くよりもこのような知的作業を楽しんでいます。以前は自分にとって勉強は性に合わないものだと信じていましたが、実は違っていたようで自分の中での本質部分は好きなのだと思っています。ただしその条件として勉強をやらされる場合と仕事に絡む勉強は今でも大嫌いです。当たり前のことですが、自ら進んでやるから楽しいのです。今回の知的作業も最初は子供の試験勉強でやらされていましたが、その後自ら計画して目標に向かい始めると楽しくなります。しかし連休に入る前はこの悪戦苦闘を予想して「嫌だなあ」と尻込みします。いざ突入すると毎日疲れ切って「もういい、勘弁して」と思います。そして最終日には「今回もよくがんばった」と感慨深くなります。そしてその日の夜の打ち上げのビールは格別です。

ところで連休が勉強三昧になったのはいつ頃からでしょうか?かれこれ自分が子供の受験に関わりだした10年前に遡ります。最初は連休全てを潰して勉強三昧のようなことはありませんでした。上の子供たちが優秀だったからではありません。上から順番に同じ経験を積んでいくと最初は右往左往しますが、3度目になると効率もよくなります。一方で過去の苦い経験を生かすべく更にやるべきことがどんどん増えててんこ盛りになります。そしてここ数年の連休では毎日がとてもしんどくなり「連休なんか早く終わってしまえ」と思うようになってきました。もっと昔に遡ると連休は家族皆で旅行に出かけていました。各地の催し物に参加して専ら遊び三昧の楽しい一瞬でした。もっと昔に遡ると勤務医の頃は大抵日直か当直で赤日連休も仕事で飛び石連休でした。まだまだ時計の針を戻して30年以上前の学生時代に遡ります。当時は運動クラブに属していましたので連休には合宿がありました。普通の大学の体育会系のクラブと比較すると甘いかもしれませんが、自分たちの中ではこれが結構きつくて「早く連休なんか終わってしまえ」と思っていました。そして干支が3周した頃まで遡ると自分が現在の子供たちと同じ立場になります。連休は受験の第一の天王山でした。第二の天王山の夏休みまでに45日まとめて休みが取れるのはここしかありません。自分の親は全く受験勉強に関わっていませんでした。しかしやらなければいけないことに変わりはありません。現在の子供たちの気持ちは痛いほどわかるつもりです。やりたいと思ってやっていた勉強ではありません。早くこの灰色のハイスクールにピリオドを打つべく「来年の今頃は花の大学生になって遊びまくるぞ」との思いを抱きながら嫌々していました。結局、三回り以上周ってみると昔の自分と今の子供たちもそうたいして変わらないことに気づきました。歴史は繰り返すということです。やりたいことをしているという点では現在の連休が一番幸せなのかもしれません。

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次男の運動会中3編

今年も昭和の日は晴天で次男の運動会を観るために佐賀まで行ってきました。昨年は長女が一度佐賀に行きたいとのことで近くの温泉ホテルに宿泊しましたが、今年は高速を使っての日帰りです。早朝の5時に出発すると一般道から高速道は空いてスムーズに流れますが、博多に降りるインターチェンジで混み始めます。しかしそれも大した渋滞でもなく制限速度を守っておよそ3時間半で到着です。新幹線と高速バスを使ってもほぼ同じ時間と費用で着きますが、体への負担は公共交通機関の方が遥かに楽です。しかし博多方面への新幹線の徳山始発で行くとどうしても到着時刻が午前9時を過ぎてしまいます。そうなると観客席のベストポジションが確保できません。自宅から道を挟んで目の前の小学校の運動会ばかり経験してきた者としては初めて運動会当日の早朝に学校の正門に並んで観客席の陣取り合戦に挑んだ親の気持ちが痛い程わかります。

運動会のプログラムではどこの中高一貫校も一緒なのですが、学年ごとに皆で参加する競技は徒競走と団体競技があるくらいです。あとは各クラスで代表を選んで障害物競争に出て選ばれし者がクラス対抗リレーに出場するくらいで皆さん暇を持て余しています。中には強者のお父さんはお天道様が空からPCの画面を覗いていることなど無視して仕事でしょうか?必死にキーボードを叩いている姿も見かけます。普通の人は暇を持て余すと予想通りにスマホをいじりだします。せめてこういう時くらい文明の利器は触らなければいいのにというのは余計なお節介でしょうか?ビデオやカメラを片手に運動場を子供たちより早く走って移動してベストポジションをキープしているお父さんの方がとても親近感を湧くのは私だけでしょうか?私も隣の一回り若いお父さんに負けじとビデオ片手に走り回りました。まだまだ気持ちだけでも若い者には負けていません。

さてうちの息子はというと少しは身長も伸びてかけっこから徒競走らしきスポーツ競技に昇進しました。以外にも足はそれなりに速い方でクラス対抗リレーにも出ていました。また周囲の友人とも和気あいあいと話している姿を見ると親としてはホッとします。何気なく観戦している運動会ですが、自分の子供が出ている運動会を観戦するのはどんなにつまらない競技であっても楽しいものです。そしてよそのお子さんでもリレーで必死に走っている姿を見るとついつい応援したくなります。それが運動会の良いところではないかと思います。高校2年を中心とした応援団合戦は見応えがありますが、2年後にはうちの息子の応援団姿も見たいものです。厳しい審査基準?があるようで実際に応援団になれるかどうかは不明です。本日の運動会も無事終えて来年以後の運動会観覧参加も残すところ2回となりました。子供は子供で学業、運動など頑張らなければいけません。親は親でこの10年いろいろなことを率先してやってきましたが、親としての楽しみもいよいよ最終コーナーに突入してゴールを目指します。隣に座って観戦している小学生連れの親子を見るとまだまだこれからも親子バトルを続ける事ができるかと思うと羨ましい限りです。

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「知的な老い方」言い換えて「よい歳のとり方」

外山滋比古氏の有名な著書に東大生が一番読んだという「思考の整理学」があり以前読みました。その著者の鋭く切れ味のある論説は面白くもあり東大生が好んで読むのも頷けました。それから5年は経過していると思いますが、たまたま書店で外山滋比古氏の著書で「知的な老い方」が並んでいましたので、何抜きなしに目に留まり前回の印象が良かったので購入して読みました。何でもそうですが、最初の印象が強すぎると次も過大な期待をしてしまいます。著書を読み進めていくと老い方についていろいろな切り口で「なるほど」と思うこともたくさんありましたが、今回は読んだ後に満足感というか充実感があまり残りませんでした。以前読んだ著書の評価が過大評価だったのか?または今回の著書が過小評価なのかはっきりしませんが、事実そのように感じたのです。ざっくりと言えば、老い方にもいろいろあって外山氏の考え方は肉体的な老いと精神的な老いは別物で工夫すれば老いてこそますます盛んに知的な事ができるという内容でした。その主張は全くその通りで否定しません。しかし読んだ後にあまり心に残らなかったのです。なぜそうなのかと考えたのですが、何となくわかったことがあります。それは自分もこの5年老いながらこれから先の20年をずっと考え続けてきましたし、いろいろな本も読みました。そして実際に経験したことも多くあります。それが思考の中で整理されて記憶として残ります。5年という歳月の経験値レベルが以前に「思考の整理学」を読んだ当時のレベルよりも上がっているために、昔よりも感激の閾値のハードルが高くなかったのではないかと思います。何も考えていなかったら読むもの全てが新鮮で感激をしますが、自分の中であれこれと思考を整理していくといろいろな著書を読んだ時に未知のキーワードのみが強烈な印象として残りその他はスーと頭に入ってきてスルーして抜けていく感じでしょうか?読み進めていくとふんふんと頷いて「そうだよな」と共感を覚えることが多かったのですが、一方で新たな発見はあまりなかったのだと解釈しました。つまり「私の思考もこの5年間でかなり成長していたのだ」と感じたのです。

ではここからが本番で「自分にとっての知的な老い方とは?」一体どういう風なものなのかをまとめてみたいと思います。「知的な老い方」とはいかにも難しく思えますが、簡単に「よい歳のとり方」と言い換えてみます。そうすると一気に「俺だったらこのような歳のとり方をしたい」なんてことがどんどん湧き出てきます。必ず肉体は衰えますから老いと肉体は反比例します。しかし精神は老いとは逆行して経験値を伴って老いと正比例していきます。もし老いと精神が比例しないのであれば歳をとってもずっと心は少年のままという童話の世界に入り込んでしまいます。勿論、認知症や脳梗塞などの病気は除外してあくまでも健全な場合に限ります。敢えてこの場では「知的な老い方」関する解答は書きませんが、具体的な処方箋はこの著書にたくさん出されています。しかし「自分の残りの人生で何をしたいか?」と考えれば誰にでもたくさんの正解が湧き出てくるはずです。

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微分と積分を人生で言えば

最近、高校数学の復習をしました。今回はその当時には見えなかった微分と積分に関してお話しようと思います。当時の微分と積分は大学受験では必ずと言ってよい程出題される超ヤマでした。問題作成者からすれば計算能力やグラフの図示などが主体で思考能力や発想よりも「高校3年間、数学を真面目に勉強してきましたか?」という受験生に対する問いかけのように思えてなりません。受験生の立場からすれば「将来、こんな計算自分にとって何のためになるの?」という疑問を持ちながらただ大学に合格するためだけに日々演習を積んだものでした。その時点で大学側と受験者の間に大きなギャップがあります。特に理系の場合、微分や積分は実生活に直結した重要な理論で更に専門的な知識を学び社会に貢献できることを大学入学後にわかるのですが、高校生にはまだわかるはずもありません。事実私も当時は理解できずに卒業してかなり経ってから社会生活の中で数学のロジック的な必要性、特に微分と積分の重要性に気がついた次第です。

今回50歳を過ぎて高校数学参考書シグマベストを購入して勉強しました。基本例題が中心です。昔はチャート式数学を愛用していましたが、まず昔の感覚を思い出すことが先決で流石にチャートに飛びついてもレベルが異次元の世界になります。まずはネットで検索すると独学で学校の基本例題に沿った参考書でシグマベストがヒットしました。なるほど噂通りにシグマベストは本当に基本に忠実でまず昔のおさらいをするにはベストでした。およそ1週間で微分と積分の基本的事項を網羅ができて当時の感覚が少しずつ戻って来ました。1か月で数ⅠAと数ⅡBを終了させて続けて黄色チャートの全ての例題を4月中旬に終了させました。微分と積分を今回再度勉強し直して速度の計算や面積の計算など実生活にどれ程役に立っているかを再認識しました。大学の頃から薄々は感じていましたが、この歳になってみるとその実用性のありがたさを実感できます。大学入試の問題作成者は多分我々と同年代若しくは下かもしれません。彼らも入試問題を通して受験生に大学卒業後も数学は世の中に立派に貢献していることを伝えたいのでしょう。

そこで最後に本題です。私が今回の微分と積分を勉強してx軸が年齢でy軸がその年齢での成果に見えたのです。日々経営者としての感覚がそう見えさせたのかもしれません。グラフは株価のように右肩上がりでもなければ乱高下もあり山あり谷あり。全く人生そのものです。その年齢での勢いが傾き即ち「瞬間風速」として微分で表現できます。また年齢を積み重ねていくこと即ちその個人の人生の評価は面積として積分で表現できるのではないかと気づいたのです。当時の18歳の自分にタイムマシンで戻って黒板で説明しても決して理解できないし思いもつかないでしょう。大学の数学専門の試験問題作成者はそこまで意図して作成しているのでしょうか?私と同年代の問題作成者も山あり谷ありの人生を歩んできた人ならそこまで意図して「この問題を撃破してうちの大学に来なさい」と言っているのかもしれません。スマホゲームのクリアよりもよほど含蓄があります。

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