次男の保護者山口県人会

5月中旬に次男が通う学校の保護者対象の山口県人会がありました。出席者は山口県でも西部に偏っています。なぜなら学校が佐賀県にあるためより近い西部からの進学者が多いのです。周南地域は山口県でも東部に位置するため数名程度です。山口県東部は寧ろ広島の学校に通学するケースの方が多い一方で西部地域は交通の便を含めて広島に出るよりは九州方面に足を延ばす方が便利なのです。山口県は土地柄100万都市の博多と広島に挟まれていて主要都市から山陽新幹線を使えばどちらも通勤、通学圏内になります。そして県の真ん中に位置する新山口駅からは新幹線で博多にも広島にも1時間以内で到着します。ですから山口市を境にして九州文化圏と広島文化圏に分断されます。それが教育の面でも同じなのです。梅雨明けは中国地方にも関わらず北部九州と一緒に発表されて気候は瀬戸内海に面する広島と一緒でいつの時代もどっちつかずの風見鶏の県といっては言いすぎでしょうか?そのような土地柄ですので今回の山口県人会は西高東低の風向きなのです。

2年前に入学した当初は山口県出身者自体が少なく中高合わせても10人を少し超える程度で会自体もこじんまりしていました。しかしこの2年で通学者が増えて今回は20人に達する勢いです。この2年で山口県の教育熱が膨らんだとは決して思えません。多分学校側の企業努力による宣伝効果の賜物なのでしょう。少なくとも地方の少子化は待ったなしですので公立校でさえも田舎ではどんどん廃校となっています。その意味からして今回の入学者の増加は学校保護者としては嬉しいのですが、山口県民としては人材が他県に流れるのですから複雑と言えば複雑になります。

今回もまずは自己紹介から始まり昼食をとりながらの情報交換です。特に1学年上の保護者からは今後の1年をどうすれば最小限のコスパで乗り切れるかを知るための絶好のチャンスです。自宅から離れて寮生活をしてまでも学校に行かせる親ばかりですので会話をすれば痒いところまで手が届くように答えが返ってきます。特に2年前に参加した時は寮生活自体が生まれて初めてで右も左もわからず本当に素晴らしい羅針盤となりましたし、山のように出される夏休みの宿題をいかに効率よく終わらせるかなども非常に参考になりました。ですからこちらも新しい参加者の方から質問を受ければどんどんお答えしようと思っていますが、自分たちもそうでしたが、なかなか「初対面でここまで聞いていいのか?」という自制心や羞恥心があるのも事実です。昔は自分もそのたぐいの人種でしたが、歳をくって面の皮が厚くなったためか最近は全く羞恥心などありません。「百聞は一見にしかず」ですが、現在は「百考は一聞にしかず」で聞いたもの勝ちです。昔と違って現代は質の良い情報をいかに集めるかで世の中の渡り方も変わってきます。そして本人の将来設計も変わることも多々あります。良い情報を入手するためにはギブ&テイクで良い情報を出すことも必要です。その双方のパス交換がお互いの素晴らしき羅針盤になるのです。今回の情報交換も非常に得ることが多く有意義な県人会となりました。

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長男の予備校の面談に出席して

先日長男の予備校に行き担任と副担任の先生と本人抜きで3者面談をしました。4月初旬に寮に入ってから早3か月が経過しようとしています。入校当時は入試までまだ10ヶ月と思っていましたが、もう7ヶ月しかありません。およそ残り200日です。もう少ししたら100日をきりカウントダウンが始まります。桜が散って葉っぱは青々と茂りあと100日もしたら紅葉します。季節の移り変わりが今という貴重な時間を追い越していきそうです。次回の面談時は本人も含めて受験校を決定しなければなりません。まだそこまでは追い詰められてはいませんが、親としてはヤキモキする気持ちに変わりありません。しかし本日面談する先生は入試情報収集力が素晴らしくまた生徒の精神面やストレスなどの分析においてもしっかりとフォローしてくださると聞いていましたので敢えて入校時にこちらから名指しで担任をお願いしました。一度も会ったことはなく本日が初対面ですが、ブログなどを拝見していましたので初対面とは思えません。お会いするなりすぐに今後の入試対策についての質疑応答が始まります。

一般論として予備校生は1日最低10時間以上の勉強をして週80時間は最低でも確保してほしいと入校時のガイダンスで聞いていましたが、更に決してやらされた時間ではなく自分でやった時間の合計でないと意味がないとも言われていました。全くその通りです。しかし片方の耳からはそれでも質より量も大切では?という囁きが聞こえてきます。なぜなら長男の場合集中力はありますが、持続力がありません。喩えるならウルトラマンは重力の関係でしょうか?地球上ではたった3分しかエネルギーが持たずに宇宙へと帰っていきます。うちの子はウルトラではなくノーマルですが、エネルギー消費だけはウルトラマンに似ています。予備校の授業だけでもアップアップのようです。それを心配していた親としては「勉強時間はどんなものか?」とか「今後も授業について行けるか?」などの質問を矢継ぎ早にしました。それに対する返答もお決まりの文句で「その通りです。まだまだ不十分です」と言われるに決まっていると思っていました。しかしその返答は「一般論としてはその通りですが」と前置きはありましたが、「今のままで十分です」と予想外の答えが返ってきました。また「授業についていけない場合や講師との相性が悪い場合は集団授業をやめて個別対応にしましょう」という提案もありました。きめ細かい対応に定評がある予備校と聞いていましたが、こちらの予想を遥かに超えるきめ細かさでビックリしました。勿論のこと本人の成績や過去の経験から裏打ちされた自信もあると思いますが、「流石よく生徒を観察して個人個人の性格を見抜いているな」と感じた瞬間でした。

最終的に合格切符を手にするには本人の努力次第ですが、どうしても親を含めて予備校などの第三者のサポートも必要です。子供を預ける親としてその大役をお願いするには眼力などかなりの部分で予備校頼みになることも否めません。今回の第一回保護者面談は予想を遥かに超える収穫を得ることができました。次回は秋に子供と一緒に面談予定です。

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学歴とは浮輪のようなもの

この言葉は京大卒の芸人ロザンの宇治原さんの言葉です。学歴社会と言われて久しいのですが、現在は以前よりは学歴にこだわらない社会になりつつあると思います。昔は大学の名前だけで就職内定が出ていましたが、20年前頃から大手のソニーやホンダが履歴書で大学名不要などと言い始めて学歴社会が少しずつ崩壊してきました。しかし現在でも東大など一部有名大学は十分に学歴が通用します。しかし学歴だけが全てでないことは世の中では周知の事実となっています。例えば我々医師の世界ならどこを卒業しようが医師免許さえ取得すれば関係なく働けます。例外として有名大学病院に勤務したいとか教授を目指したいなど特殊な目的の場合は学歴が必要条件となりますが十分条件ではありません。ほとんど医師にとって結局はあまり関係ないのです。

先日行きつけの飲み屋さんで私の友人と大将とでその話になりました。大将は高校を卒業するとすぐに京都の老舗京料理店に就職しましたので学歴という過去の記録では高校卒業です。一方で私の友人は慶応大学卒業で大卒です。料理人になるためには専門学校に通う人もいますが、昔なら丁稚奉公で見習い住み込みが多かったのではないでしょうか。腕を磨くためには学歴など不要で自分の努力でのし上がっていく下剋上の世界です。大卒で就職する場合には昔は現在と比較して有利だったことには間違いないでしょう。しかしその後の出世はやはり本人の努力次第に変わりありません。勿論、東大を出て高級官僚になれば学歴出世コースのスタートラインは一般卒の遥か先でその差は歴然として追いつくことは不可能です。しかしスタート後の競争はまた熾烈で少しでも油断すれば出世というレールから弾き飛ばされてしまいます。飲みながらかなり酔いも回っていましたので多分そんな会話をしたのではないかと推測しますが、定かではありません。ただ唯一覚えているのは学歴のある宇治原さんの言われた「学歴とは浮き輪のようなもの」という言葉です。

そこで本題なのですが、浮き輪とはどういうものなのかをまず考えてみます。浮き輪があれば初心者は溺れずに海に浮かんで泳げますが、あくまでも補助具であり、いつかは浮き輪を手放して自らが泳げるようになって荒波に向かっていくのが普通でしょう。しかしいつまでたっても浮き輪から離れない場合、泳ぐことはできてもなかなか独り立ちできずに進歩があまりないでしょう。つまりスタートラインに立つときは学歴は有利なものになり得ますがそれに固執するとかえって足かせになってしまうものが学歴だと宇治原さんは言いたかったのではないでしょうか。また最初から浮き輪なしに海に飛び込むのも料理人の世界ではあるかもしれませんが、それでも先輩の背中を見ながら必死でもがいて泳ぐ姿が目に浮かんできます。そして自分で泳げるようになったら独立もできます。現在は昔よりも複雑で社会で生きていくには学歴不問とは言いませんが、それに頼りっぱなしだとうまくいきません。学歴はあっても損にはなりませんが、過大な期待を持つべきものでもないのかもしれません。最後はその人の努力であって肩書ではないのだと思います。

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やっぱり私は理科が一番好き!

最近は中学教科の勉強にハマっている私ですが、特に楽しい教科は理科です。英数の主要教科は塾代をケチって子供に家庭教師をするために嫌々ながらやっていますが、自然科学は特に楽しい教科です。理科でも物理、化学、地学、生物とありますが、特に地学でも気象について勉強するとなぜ雲ができて雨が降るかなど自然の営みを今までは何気なく見過ごしてきましたが、明日の天気はどうであろうかと気になってしまいます。受験生までは電流の流れで電圧=電流x抵抗などと念仏のように唱えていたのが、この歳になって家庭のコンセントは並列つなぎでそれぞれに100Vの電圧がかからないと動かないし、直列だったら電灯が暗くなってしまうことが以前は何となく理解はしていましたが、やっと理論と現実が一致するととても興味が湧いてきます。一方で化学は工場で勤務して化学物質の合成や分解をすることで人間にとって便利な物を作って試験管を振って実験をする研究者にはとても面白い分野ですが、物理と化学は目に見えにくい理論が先行してしまって一般素人が勉強するにはとっつきにくいかもしれません。その点では理論的な数学と一緒でクリアなのですが、如何せん目の前の出来事を「なぜ?」と捉えようとすると難解です。我々医学に詳しいものは生物がとっつきやすいと思われがちですが、生物は何せ覚えることが多いため少しうんざりしてきます。いろいろと理科について書きましたが、自然現象を理解して生きていく上でいろいろなヒントを与えてくれるのが理科であって大人になって脳を再活性化するための勉強としてはもってこいの教科なのです。

一方で英語は世界中の人々との共通言語を習得して感情を含めた会話をするためのツールですが、日本の中の英語は文法から入って読み書きが主体となり面白くありません。最近はかなり以前より英語教育が変わってきましたが、それでも定期テストは文法が主体になっているのは間違いなく本当は素晴らしい教科であるのにつまらないものにしてしまっていると思っているのは私だけでしょうか?数学もしかり、受験をするにはどうしても計算が速くていろいろな公式を覚えてその組み合わせを駆使して解決していく手法を身につけることが最短のルートです。その一見無意味な手段が将来的に私自身にとって社会に出てから数学的なロジックな考え方とし非常に役立っています。しかし各論でみた数学は公式一つ一つが生きていく上で全く役立っていません。ですから数学は社会にとって必要ですが、大半の人にとっては10年以上も時間を費やした割には実生活には反映してないかもしれません。社会で歴史を一言で言えば過去の人間の過ちを繰り返さないようにするための学問で、地理は世界のそれぞれの場所で生きる知恵、国語は過去の人と文字を通して語り合うことです。そう考えれば大人になっても十分に勉強する価値があるものです。

いろいろと教科に対する個人的評価を書きましたが、結局過去に勉強してきた以上にこの5教科を現在の自分が再度勉強できること、即ち「知的幸せ」を感じさせてもらっている自分の子供に感謝しなければなりませんが、「やっぱり私は理科が一番好き!」です。

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受験も診断も子育てもロジックである

「ロジック」を国語辞典でひくと「論理」と出てきます。数学で論理というと仮定から情報を集めて結果を推理して結論を出していくことで、医療では患者さんの訴えを聞いて情報を集めて検査をして診断を下して治療をして結果を出すことです。まるでバラバラに散らばったジグソーパズルの断片を重ね合わせて一枚の絵にするが如くです。また最近の経験でそれが受験や子育てにもあてはまることがわかってきました。

子育てでは第一子が生まれた時には先輩や親や本などから知識を吸収して見様見真似で何もわからずにいろんなことを経験していきます。その経験の中でも喋れずに泣くだけでしか表現できない子供の様子を丹念に観察していろいろな推論を立ててミルクをあげたりおむつを替えたりします。そのうち慣れてくるとちょっとした仕草で赤ん坊が何をしてほしいのかがわかってきます。これも病気の診断や治療と同じで経験則と本や先輩からのアドバイスによる「ロジック」なのです。小難しいことを言っているようですが、人間全ての行動では過去の経験則を頼りに最善の方法や手段を考えて実際に行動するのですからそれは論理的であるわけです。受験も同じです。受験生当時に数学はロジックであるとわかっていましたが、その他の教科はそう思いませんでした。しかし年齢を経るに従い国語のしっかりとした文章ほど論理的な展開になっていることがわかってきました。当時の受験生時代には国語とはわけのわからない相手の気持ちを汲むための教科であると思っていましたので、当時の共通一次で平均点を切ったのも頷けます。歳を取り人生経験と他者の経験を読書によって学んできた現在では国語は数学と並んで立派な論理的な教科と断言できます。昔何かの本で国語のできる人が「国語とは読書と人生経験である」と言われていたのが今になって身に沁みます。うちの長男も最近になって「国語は歳を取ればできるようになる」と主張していましたので当時の受験生の自分よりは一歩も二歩も先を行っているのかなと思いました。

そして最近3人の子供の受験を経験して受験教科の勉強以外に受験校を選択や試験を受けて合格した場合や不合格になった時の再チャレンジも論理的な手段を駆使しなければいけないことにようやく気付きました。遅かりしといえば遅かりしなのですが、それでも今からでも間に合えばと思っています。まず受験についても正確な情報を集めることに尽きます。現在では一次と二次の合計で高得点に追加として小論文や面接重視の大学もかなり増えました。また推薦入試や地域枠入試なども探せば一般入試の正面突破よりも少しでも合格しやすい手段がある大学も増えてきました。それこそ多様化時代に即しているのかもしれません。そして結果が不合格でも今度はどこの予備校が良いかという情報収集が始まります。昔みたいに駿台から東大へという一辺倒の時代ではないのです。やはりその個人にあう適性や相性をみつけなければなりません。これこそが人生の進路を決定する最大のロジックと言って過言ではないでしょう。

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