死ぬまで勉強

先週の突然の想定外の次男の最終進学先の決定で、次男は浪人生活を終了して来月から大学生になります。そして合格発表直後から大学のHPやグーグルマップを眺めながら居住地域を散歩して、またネットでどこの学生アパートがよいかなどと色々と検索しながら仕事の合間時間を費やしています。そして大学生協を通じて不動産を探すとよいとの情報を得て、ネットサーフィンを楽しんでいます。また行き先が決まってしまえば、新天地に対する新たな不安も生じてきます。当初の志望からはかなりずれて第三志望まで下がってしまいましたが、それでも新たな気持ちで新天地にて巻き返しを図ってほしいと思っています。私が言うのもなんですが、人生なんて紆余曲折なんて当たり前で予測通りにいかないからこそ面白いのであって、少しでも自分の夢を叶えるために日々の努力や精進が必要なのです。その大切な考えは長女の中学受験から始まりこの15年に及ぶ悪戦苦闘で身をもって体験しました。一方で私は性格的にしっかりと準備をして他人が石橋を叩いて渡るのを確認してからしか自分で渡りません。そのため自分とは全く異なる性格の子供たちの行動を見るにつけ歯がゆい気持ちになることも多々ありました。また3人の子供も三者三様でそれぞれの性格にあった対応を取らないと仇になることも経験しました。このような経験は仕事とは全く別の世界で、自分が生きていく上で大切な経験をこの15年間の受験戦争の中で教わったと思っています。

医師になって20年間は医学や経営の勉強しかしませんでしたが、その後の15年は純粋な学問を追求することができました。高校数学と物理はほぼ完全に履修し直すことができましたし、完全ではないものの化学や英語もかなりやりました。当時は入試のための勉強で理系に進学するためには特に数学と物理は必須でしたが、なぜ人は勉強するのかという大きな疑問に答えてくれる先生は皆無でした。皆が川の流れに流されるように入試のためにだけ勉強していたような気がしてなりません。10代後半なんて所詮誰も皆似たり寄ったりだったのではないでしょうか。そのような大切な基礎固めを本当に大切だったと思い起こさせてくれたのがこの15年であったと言っても過言ではありません。あんなに嫌いだった物理が社会人という少し人生経験をさせてもらった後に学び直すとその普遍的な現象は現在進行中の人体の不思議に匹敵するほど魅力的な学問だと再認識させられました。数学もしかりです。あの定理や公式が数学という狭い世界に留まらずに普遍的に社会と連動していることにも気づきました。それも自分で必死に学問を学び直したからなのですが、そのきっかけはほとんどの人が何気なく通る道を子供と同じ目線で見ながら再び踏み直したおかげだと思っています。

「死ぬまで勉強」は人間が生きていく限り大切なテーマですが、一度ならず二度も体得したこの知識をどうやって維持し今後に生かしていこうかと現在思案中です。そして人体の不思議と並んで興味ある学問が増えたことに子供たちにとても感謝しています。

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