腰を低くして必要な時には頭を下げられますか?

よく世間では「あの人は腰が低い」という言葉を使います。腰が低いという意味を国語辞典で調べてみると「他人に対してへりくだっている。愛想が良い」と書かれています。相手からみればへりくだって、愛想が良いわけですから嫌な気持ちはしません。腰が低ければフェイスto フェイスのコミュニケーションがうまくいって事がスムーズに運びます。よって腰が低い人に成功者が多いというのも納得がいきます。では「必要な時に頭を下げられるか」について。腰が低いに対する対義語ではありませんが具体的に言えば、自分に非があった時に相手に「ごめんなさい」と言えるか。または相手に教えを被りたい時に「お願いします」と言えるかということになります。

なぜこの二つの言葉を取り上げたかというと、昔から自分はこの二つの行動が苦手だったからです。特に前者の「腰が低い」に関しては50歳になってもまだまだ未熟者です。いつも失敗して後から反省する始末で懲りない性分です。では後者の方は?と言いますと、50年も生きてくると流石にいろいろと自分一人の力ではどうしようもできないことが多々あります。その時には自分は全くのずぶの素人のわけですから、素直に頭を下げて教えをいただくことはよくありますし、まちがったことをやらかせば「ごめんんさい」と言うことも決して恥ずかしいことではなく当然言えます。しかしテレビやネットで外国人は自分に非があっても謝罪しないケースをよくみかけます。裁判沙汰になった時のことまで考えて不利にならないようにと聞いたことがあります。外交問題をみれば顕著で皆さんもわかるでしょう。戦後70年、日本はこれからもずっと過去と向き合って前へ進んでいかなければならない。隣国は謝罪せよと言い続けている。一方で領有権問題など自国に不利なことは決して非を認めない。3月にドイツ首相が来日してドイツは戦後にナチスと向き合い過去を清算したと主張していたが、それは正しい。しかし他の国際問題では決して非を認めないし一歩たりとも引かない。では日本はどうか?今までの日本外交は腰が低すぎる八方美人外交ではなかったかと思います。現在の安倍政権は全て良いとは思っていませんが、かつての政権よりはその点ではよいと評価しています。これからもいつも腰を低くするのではなく言わなければいけない時にははっきりと主張するけれども、誤った時には謙虚に頭を下げることのできる政権であってほしいと思います。

それでは再び自分に焦点を当ててみます。腰が低いことは一般的に良いことで社会の調和としてはなくてはなりません。しかしいつもそうでよいか?それはよくない。しかし今の自分はまだまだ未熟者でその域まで達していない。よってどんな状況下においても冷静沈着に必要な場合には相手に対してへりくだれる行動を身に着けなければいけないと思います。とても大切で自分にとっては大きなテーマです。次に頭を下げること、これはある程度できていると思っていますが、まだまだ不十分かもしれません。人と人が付き合っていくには、今以上に謙虚な気持ちをもたなければなりません。

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