スターレーンの閉店によせて

10月の末日で徳山のスターレーンが閉店しました。スターレーンといっても地元民しかわかりませんが、ボーリング場のことです。ちょうど私が生まれた頃に我が母校の徳山高校の前にオープンしたそうです。当時は、私も幼かったので記憶はありません。しかし物心つく頃からは季節の催し物としてよく利用していました。当時はマイボール、マイシューズという言葉が流行っていました。即ち、自分専用のボールとシューズを持っていることの代名詞で、持っている方はちょっと鼻高々でした。勿論、私は持っていませんでした。また当時、中山律子さんというプロボーラーが人気でテレビ中継も週に何本とあったように記憶しています。

小学生の頃は地域の子ども会のレクリエーションとして低学年から高学年まで皆一緒に楽しみました。その当時は現在と異なりガーターレーンがそのままありましたので、低学年はガーターの連続です。多分、スコアでいえば50点も取れなかったと思います。中学生になると冬休みなど長期休暇になり友達同士で、映画を鑑賞してその後にボーリングをして帰るという定番のコースでした。ちょうど中学生の頃になると恥ずかしながら異性を意識しだす頃です。グループでボーリングに行き、ストライクをとたっときのあのハイタッチが感激ものでした。小学生時代にフォークダンスでキャッキャッと騒いでいたのと同じです。

高校になってもその当時は今と比較すればそんなに娯楽が多くなかった時代で、ボーリングは友人との交友を深めるチャンスでした。その頃になるとある程度スコアに執着し始めて最低でも100点以上を目指します。しかしスコアもさることながらやはりハイタッチは魅力的でした。

大学生になってからは地元を離れましたが、新宿の歌舞伎町で飲んでハイになり、午前をまわってからミラノボールで一汗流して酔いを醒ますというコースもよく行きました。しかしその頃からゲームセンターが台頭してきまして、少しずつ遊びの質が変わってきたように思います。略語でゲーセンと言いましたが、今では死語でしょうか?社会人になってからも我々の世代はときにはボーリングをして娯楽のひとときを過ごします。やはり昔とった杵柄でしょう。

そのような地元で親しんだボーリング場が先月で姿を消しました。周南市にはこれでボーリング場が全てなくなったことになります。青春の日々を娯楽として共に過ごしたボーリング場がなくなることに時代の流れとはいえ一抹のさびしさを感じざるを得ません。

 

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