命の大切さ

先月長崎で悲惨な事件が起きました。「人を殺してみたかった」という動機自体が異常ですし、東京では「24時間以内に死ね」と義父に言われて中2が首つり。以前にも「死刑になりたかったから殺すのは誰でもよかった」など異常な発言も聞かれました。またあれだけ酒酔い運転はダメだと言われているのに「ちょっとなら」とか「誰も見てないならいいか?」というアホな考えで事故を起こして幼い命を奪っています。誰しも生まれた時にはそのご両親は「よくぞ、生まれてきた。ありがとう!」と感謝の念でいっぱいだったはず。しかし時が過ぎいろいろな出来事をくぐり抜けていくうちに感情が鈍くなってくるのでしょうか?肉体は誰もが悩まずにちゃんと成長していきますが、精神の成長はしっかりと親が教え込まなければいけない時代です。成人になってもニートも多い時代ですからどこまでが親の責任でそれ以上は子供の責任とすんなりとは線が引けませんが、いつまでたっても親は親です。「三つ子の魂百まで」と諺にもあるようにその両親がどのように子供に愛情を注いで育てたか、そして大人になるにあたって肉体的成長以外の人間としての生き方をしっかりと教えたかは親の責任だと思います。寝る子は育つではないけれどもほっといても立派な人間に育つなんてことは、悲しいかな、今の世の中にはあり得ないのではないかとふと思ってしまいます。何も悪くないのにウクライナの上空で撃墜された人々、これからという高校生がフェリーの沈没で失った尊い命、そのような出来事を目にすると他国の事件でも胸を痛めてしまいます。そして責任追及しようにもお互い相手が悪いなどと非難中傷合戦のウクライナ。パレスチナとイスラエルは停戦協定が2時間で反故。

やっぱり今の社会の非常識な思想はそのような世の中にしてきた我々と我々の両親の世代の責任だと私は思っています。30年前は私が青年で両親が今の私と同じ年代でした。その頃はその頃でいろいろな事件はありましたが、我々はその時代を必死で生き抜いてきたことには間違いありません。しかしそのとき30年後を考えていたかというとなかなかそこまでは考えていませんし歴史は繰り返されます。だから少なくとも現在の自分の子供たちには30年先を考えしっかりとした人生観をもって生きてほしいと願いながら子育てをしています。いつも思っていることですが、我々人間ほど身勝手な生き物はいません。なぜならそれは感情があるからだと思います。逆に感情がなければ動物と一緒で食うか食われるかの弱肉強食の世界のみでそれはそれでちゃんと生命の進化としては問題ないのです。それを突然変異でもって一部の生き物が感情を持つようになってしまったからこのようなことが起こるわけです。感情と理性を個々人がしっかりとコントロールできれば素晴らしい生き物にもなれるのですが。仮にSF映画ではありませんが、1年後に巨大隕石が地球にぶつかる確率が90%以上とか、地球外生命体(いわゆるUFO)が地球を征服するためにやってきたら、この青い地球に住む感情や理性をもっていざこざを起こしてきた生き物は一致団結してその人類の危機を乗り越えようとするのではないかと思うのです。

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