今になって思う過去の自分の描いた将来

自分の将来なんてその時々の分岐路の決断によってその後の人生は大きく舵をきって変わっていきます。今から35年前の出来事。富田中学校を卒業して徳山高等学校に入学。「なぜそうしたの?」と聞かれても未だに明確な答えはありません。「皆が高校に行くから」とか「高校に行くのは当然だから」というのが15歳の人間のせいぜいの解答ではないでしょうか。しかし現在の自分に同じ質問をされても似たり寄ったりの答えしか返せません。

それでは大学に行くときには明確な目標や夢があったのでしょうか?少なくとも自分の周囲には多くの大学受験生の友人がいました。中には東大に行って映画監督になりたくて松竹に入り今では北野たけしオフィスで映画評論家をして夢をかなえた友人もいますが、ほとんどは数学が得意だから理系に行って今の偏差値からこのあたりの理系大学学部に行く程度ではなかったかと思います。しかし私のように医学部など特殊な学部の場合その学部学科を卒業しなければ絶対に法律上なれないわけです。つまり人生がたかが18歳から20歳そこそこで決定しまうわけです。一部例外で社会人になってから自分の夢をみつけて医学部に入り直す人もいますが、それは例外的存在なわけです。当時は理系でもパソコンなどがこれからという時代でしたので工学部電子学科などに人気がありました。

その後時が経て30年。数年前に高校の同窓会がありましたが、皆普通のおじさんやおばさんになり自分の卒業学科を生かした人生を歩んでいる者よりも、その当時からすれば「えーっ!?」いう人生を歩んでいる者も少なくありません。自分はといえば一丁前に(これって寺内貫太郎一家の名ゼリフです)医者になりましたが、「世の中の病める患者さんを助けよう」などという高尚な理由など当時はなく、親が医者でその背中を眺めながら足元には1本のレールが長く30年先まで続いているように見えたのです。「このレールに乗っかればなんとなく自分の人生を全うできるような幻想が見えていたのでしょうか?」今でも当時の解答は明確ではありません。人生の航海(後悔)は疑問の数珠をつなぎあわせているわけです。皆さんも本当に自分の夢や仕事をみつけたら必死でやるでしょ?しかし見つけることができない場合も多いのではないかと若い世代を見ながら思います。それでも20歳そこそこで人生の岐路に立たされてしまうのです。現在の長女や長男を見ていてそれが痛いほど伝わってきます。でも親として何も手を差し伸べてやることはでません。ただただ見守ってうるさいなと思われながらも小言やアドバイスのエールを送るだけなのです。そして「自分の人生の航海の岐路の決断は正しかったか?」と聞かれたら、今唯一言えること、それは「真面目に人生に向かい合って生きていけば最後はなるようになるさ、それが自分にとって良くても悪くても」という教訓だけは確かな気がしてなりません。これを読まれている方で「そんなことねーよ」と思われる方もいるかもしれませんが、最後は自分の人生はあくまでも自己責任であって他人がどうのこうのと言うことはできません。このメッセージが遥か彼方の彼に届けばいいなあと思っている初秋の頃です。

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