記憶と理解

最近、記憶しようとしても記憶できないことが多くなりました。認知症患者さんが朝ごはんを食べたのに食べてないと言い張るほどの記憶低下ではありませんが、頭の中で物のイメージができるのに名前が出てこない、典型例では人の顔は思い浮かぶのに名前が出てこないあのパターンです。電話番号を言われてとっさに記憶しようとして周囲にメモ紙がないので何回も復唱しても覚えきれない自分の限界を知り始めたため、こじつけで数字言葉を作ったりします。鎌倉いい国(1192)という昔の年代暗記法ってやつです。また簡単な暗算ならいいのですが、買い物で千円単位の物を複数買って足し算をするまではどうにかなるのですが、それに1.08の掛け算をしようとするとついついケータイの電卓機能を使ってしまいますよね。昔なら目をつむって暗算でがんばったのですが。40歳過ぎる頃から皆さんも多かれ少なかれ同じような経験があることと思います。昔、小学校でしていた「前へ倣え」方式で小学低学年が直立して背筋を伸ばして国語の音読をするような姿勢で文字を読もうとしないと今では文字が文字化けするようになりました。所謂、老眼です。

さてそこで私がこの歳で大学受験をするなら若者と同じように必死で暗記モノは記憶していくしかありません。夜寝る前に単語を覚えて夜間睡眠学習をして朝もう一度再確認をしてみる。そしてかの有名なエビングハウスの忘却曲線を利用して記憶したいことは習った当日に復習して翌日と1か月後に合計3回繰り返せばほぼ忘れずに記憶が定着するというやつです。これは受験対策のバイブルですが、我々中年にも十分に効果があります。自分が実際にしていますのでもし興味があれば詳しくはネットで調べてみてください。しかし昔はあれほど必死でいろいろな事象を覚えようとしたのに、現在はネットが発達してどこでもいつでも検索ができます。文学、哲学、数学、社会、政治、芸能などありとあらゆる情報が手に取るように即座に調べることができるようになって記憶する必要性が昔より少なくなってきたのも事実です。資格試験や受験ではこれから将来にわたっても暗記、記憶は重要な要素ですが、一般社会の我々にとっては過去に何かこれ見たことある、聞いたことあるという記憶さえあればネット検索機能で十分対応できてしまします。勿論、一度はしっかりと理解しなければ意味ないのですが、一度理解すれば忘却曲線の法則でそのまま彼方へと記憶はほぼ消えていきますが、ゼロにはなりません。「聞いたことはあるけど、たしかあそこら辺の本に書いてあったけなあ?」くらいでいいのです。あとは検索機能で頭の引き出しからその書いてある本棚を探して取り出して読み直せばいいし、もっと楽をしたければネット検索でその場はOKなわけです。しかしその機能をフルに発揮するには一度は完全に理解してなければダメなわけです。メディア機能の発達により我々は昔ほど記憶できなくなっても余りある機能が付加された現在ですが、それでも理解する重要性に変わりはないのです。ちょっとした頭の引き出しを作るために手帳にメモっておいたりすることは、記憶の重要な手助けとなる事実は未来になっても消えないはずです。

カテゴリー: 日常のこと パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です