不満と後悔は違う

この世の中には不満と後悔が渦巻いています。歳をとってから言い出すことは後悔の方が多いようです。不満はどちらかといえば若かった頃の方が比較的多かったのではないでしょうか。どちらも割合ですので0対100ということではありません。若い時の不満でも年代によって異なります。大雑把にいって未成年の不満。これにはまだ両親の監督下にあって服従しなければいけない不満や義務教育でやらなければいけないことに対する不満。この不満は誰もが避けては通れない不満でしょう。中高校生くらいになると自我の芽生えで社会に対する不満が出てきます。しかしこのあたりは反抗期も含めて個人差が大きくて不満自体がない人もいるかもしれません。個人的にはあまり反抗期がなかった分、今が反抗期かもしれません。そのため現在の子供の反抗期を実体験しても過去の自分と照らし合わせることができず子供の気持ちを理解するのに苦労しています。まあこれも一つのいい経験だと思っています。今では死語になった大学紛争という不満が昭和40年代に社会に渦巻いていましたが今は跡形もありません。そのためか?社会に出てから若者は不満を抱き始めます。社会人の不満は一人前の大人が上司や会社への不満や自らの置かれた環境や家庭への不満でしょうか。人生で一番不満が多く不満の花盛りといったところでしょう。

しかしここで注意!そろそろ後悔の足音が聞こえてきませんでしたか?そうなのです。冷静に人生を分析してみるとどうもこのあたりから、個人的には大嫌いな後悔が頭をもたげてきました。後悔、それを自己分析していくと、不満は自分のやり方次第では前向きに進める可能性を秘めたものですが、後悔は後ろを向いて「あの時にああすればよかったのに」というような過去の出来事で決して二度と戻ることができない領域に存在します。後悔というのはいつまでたっても後悔です。タイムマシンでもない限り死ぬまで続きます。だからどこかで諦めるとか妥協するという自己完結をしなければなりませんが、それでも傷痕は一生残るわけです。そして現在の私の年齢に到達して人生の3分の2を過ぎる頃からは不満も多少ありますが、後悔が大部分を占めてくるわけです。今頃になって「後悔先に立たず」という諺が身に沁みます。もちろん同年代でも「こいつ、何考えてんの?」と不満ばっかりの人もいますが、不満それ自体を持つことは悪いことではなくて、いかに対処するかが鍵だと思います。内容には触れません。思うようにならない不満はその時は非常に腹が立つことなのですが、自分で舵を切って航路を変えればいいのです。しかしそれをしない人々が世の中にたくさん存在して不満が渦巻き将来に後悔に変わっていくのですが。

不満と後悔は表裏一体だと最近思っています。自分自身は後悔しないように不満を解消していますが、避けようのない不満もあります。しかしそれでも後悔しないように努力していきます。不満をもつこと、それはまだその人間の伸び代が残っている証拠かもしれません。そしてその不満が後悔に変わった時、それは永遠に後悔として残るのです。だからこそ残り3分の1を後悔に変えないように精進していきたいと思っています。

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