今になって振り返る勉強の楽しさ

今年の正月はゆっくりとしました。ゆっくりと言うと聞こえはいいのですが、結局は何も予定をいれなかったということが正確な答えです。本当なら昨年と同じようにダイビング一人旅も計画していたのですが、諸事情で計画は断念となり空白の1週間を家で過ごしました。このような1週間は学生時代の長期休暇以来ありませんでした。勿論、勤務医をしていた頃は夏休みで1週間もらって海外旅行に出かけたことはありましたが、家に閉じこもっての1週間は未体験です。

以前から子供が使用していた中学受験のテキストを自分でやって実感したいと思っていました。理科の場合、大人でも知らないことばかりでとてもワクワクした体験が得られました。昔、自分が小学生の頃の理科といえば面白いとは到底思えませんでした。しかし半世紀経過してその内容を振り返ってみると世の中の現象そのものを題材にしている理科は世の中を曲りになりにも50年生きてきたからでしょうか、とても面白く感じるのです。やはり周囲を見渡せるような年齢になったからそのような日常のしくみについても理科的な発想でみればまた新鮮に映るものです。また算数はとてつもなく難しいという一言に尽きます。しかし方程式などを使用せずに算数の本質を突くような問題があり我々大人でもしょうしょう勉強してもなかなか歯が立ちません。こんな難しい問題を塾にいって都会の子供たちは夜遅くまで解いているのかと思えば、中学受験では義務教育の小学生が習う範囲の問題だけを解いていても合格を勝ち得るには2万%あり得ないでしょう。このフレーズどこの誰かが言っていましたよね。それでもその難問を解いて有名私立中学に合格する子供たちが存在するわけです。そこで自分もかつては数学が得意だったので(あくまでも過去形です)、例題を解いて問題に挑戦してみました。最初は戸惑うことばかりでしたが、少しずつ要領を得ると何とか解くこともできるようになってきました。そして問題が解けるようになると更にまた面白くなってきます。また長男が中学と高校英語の文法を忘れているということでその復習も兼ねて英文法の本をめくり返しました。英語はNHKのネット学習もしていたので大体は理解できて家庭教師程度のことはできました。

勉強を強制的にやらされて入学試験をパスするだけの手段としての自分のかつての勉強はその面白さなんて全然なく苦痛そのものでした。しかし今になって振り返って自分でやりたいと思ってする勉強は本当に自分のためになることばかりでとても楽しく感じられました。ただ頭がかなり老化していることは間違いなく、昔ならこれくらい暗算でちょちょいのちょいとできる計算が頭の中でこんがらがって電卓を使用しなければできないというのは本当に寂しい限りです。人間は一生勉強しなければならないとよく言われますが、全くその通りでその努力の継続こそが残りの人生を生きていく上で大切な事を見つけることができるのではないかと思っています。今回の空白の1週間で新たに自分のこれからのきっかけを見つけることができた貴重な時間を過ごすことができました。

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