成人式恒例の12km歩行

毎年ちょうど成人式の連休の月曜日に恒例の12km歩行を挙行しています。いつからでしょうか?このような自分の中だけの恒例行事として定着したのは。過去の記憶を遡ってみますがはっきりしません。ずっと続けている石原10年日記もそろそろ終わりに近づいています。それを手繰ってみるとちょうど9年前から始めているようですが、それ以上過去の記録がないためやはりいつからかは確証を持てません。ただ私の頭の中には今年成人を迎える長女が小学低学年の頃から一緒に歩き始めた記憶があります。しかしその記憶が遥か彼方の記憶で確証がない。確実に記憶されているのは今中3の長男が小学低学年で今小学高学年の次男が幼稚園の時に3人で歩いたのをよく覚えています。寒く風の強い晴れた日でした。それがちょうど日記を書き始めた頃と一致するわけです。人間の記憶なんて曖昧なので文字にして記録すると後世に読み返してみてもその当時の記憶がすぐにフラッシュバックできます。しかし記録がないと記憶の糸を手繰ってもあまり思い出せません。

さて今年はというともう数年前からですが、子供たちはついてきません。一人での出発です。幸い今年の成人式は暖かい日に恵まれ自分にとっても最適の日和でした。毎年コースを変えていますが、今年はどの方角に向かおうかと直前になっても決めておらず、出発した瞬間の足の向くまま気の向くままの出発となってしまいます。結局今年は西の方角に向かうことになりました。歩き始めはいつも通る道ですので何の想いもありませんが、歩き始めて30分も経過しようとする頃にはもう普段歩かない道を歩いています。ただ数年前の同じ冬の寒い日に同じ道を歩いた記憶だけが残っています。そして歩きながらあの時は自分も数年若かったし、それ以上に一緒に歩いた子供たちはこの数年で成長してとても変わっていることを昔歩いた面影を辿りながら歩くのです。そして次に思い浮かぶこと、それは遥か遠い昔に一緒に遊んだ古き友人たちの実家近くを横目に見ながら、その当時の自分と友人の面影を辿るのです。勿論この数十年は会ったこともなく良き思い出の1ページとなって記憶の片隅から蘇ってきます。そしてその思考が頭を巡り巡って疲れてきたころには最後に「はて、数年後もこの同じ道を歩けるのかなあ」という不安とも何とも言えない気持ちに陥ります。それは自分のこれから先の伸びていく見えない道の不安と交錯しているためでしょう。ただそのとき思うこと、それは「やっぱり今日は今日。明日は明日でどうにかなるさ・・・・・・」

虹そして当たりの空気も冷たくなり冬の早い西日が輝き始めた頃、そろそろ我に返って家路につこうかと思い始めます。たくさんの想い出の記憶やこれからの将来のことを考えながら歩いた道を後にします。帰り際に夕焼けの中に一瞬小雨が走り過ぎていきました。その向こうの青空には虹がかかっていました。すぐにでも消えていきそうな虹色を鑑賞しながら更に一層冷たい空気がピンと張りつめた中を帰っていきます。今年こそはいい歳をとってよい年になりますようにと願いながら。

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