カニ刺しを食べる

以前勤務医で出雲に住んでいた頃は、冬の代名詞といえばズワイガニでした。鳥取の境港が有名ですが、出雲も新鮮さでは負けません。当時でも東京の築地で最高のカニを仕入れて料亭で食べれば3万円は最低でもしようかという代物でも地元の業者から少し型がくずれていても新鮮さでは決して負けないカニづくしコースで1万円出してもおつりがきていました。もうかれこれ20年以上も前のことですが。

瀬戸内海の新鮮な魚も沢山食べてきましたが、山陰の冬の味覚にはたちうちできないように思います。そして山陽にもどるとなぜかカニ刺しが食べることができないのです。なぜだろうかという疑問をいきつけの店でかつてこのブログでも紹介した大将に聞いてみました。すると漁から上がったばかりでまだ板前さんの目の前で生きているカニをさばかないとカニ刺しはできないから山陽では特殊な方法で生きたままで入手しないと無理だとのこと。しかしその特殊な方法で一度やってみようということで山陽に戻ってから20年ぶりにこの地でカニ刺し三昧とあいなったわけです。昔カニ刺しを食べた時、その味はなんとも言えない至福の味でした。食感から言えば甘海老を生で食べたときの感じでしょうか、そして味は透き通った透明感のある味とでも表現できましょうか、なんとも深みのある味です。今回のお味も昔食べた時の舌の感触が残っています。それからカニの甲羅とそのカニみそが出てきます。お決まりのコースですがやはり期待通りです。最後はお決まりのカニ鍋にカニ雑炊です。カニは殻を除けば全て食べることができます。昔学生時代に伊豆に友人と旅行したときにカニの味噌汁を飲みました。カニの風味が丸ごと出ている味噌汁でした。あの味も今もってこの舌と脳裏に焼き付いています。それから30年カニのダシの出た味噌汁には出会っていません。もう一度行きたいと思いますが、あの当時どこの店で食べたのかは全然思い出せません。もし30年の時を経て同じ店をくぐってもあの当時の感激は味わえないかもしれません。きっと味わえないと思います。当時の舌の肥えてない貧乏学生が旅先でその当時に美味しいと思った感覚です。半世紀経過した今の自分とはかなりギャップがあるでしょう。だからこそその当時の舌の感覚はあくまでもその当時の脳裏に焼き付いているのであって今もう一度再現したくてもできないのです。淡い青春時代の初恋がかなえられない永遠の夢であるのと同じように。

今回のカニ三昧は今の自分にとっては最高の御馳走でした。またいつかカニを口にするときが来ると思いますが、その時はまた違った味で迎えてくれることでしょう。歳をとって舌が肥えていくように人生経験も豊富になり味覚と言う経験も豊富になります。ただ美味しいものはいつなんどき食べても美味しいのです。それは脳の片隅に過去の美味しいという味覚が電気変換されて美味という文字言語に変換されているのです。だから再び美味と言う味覚を舌が感じれば即座に頭の引き出しからその記憶を引っ張り出してきて私たちは美味しいと感じることができるのです。「今回のカニ刺しは美味しかった!」

カニ カニ

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