やっぱり二代目は秀忠が好き?

昨年私は50歳になりました。若い頃の自分から見れば50歳の自分はどうなっているだろうなんてことなど考えたこともありませんでした。50歳とはただただ果てしなく遥か彼方

の川岸の向こうであったことだけはまちがいありません。そして人生をマラソンに喩えれば折り返し地点を通過して残りの距離の方が短くなってくると「なぜ医師になったのだろうか?」とふと考えることが多くなりました。「親父の背中を見て成長した当時の自分がどうして医師になりたいと思ったのか?」と自問自答してもはっきりとした答えを思い出せません。ただ50歳を過ぎるにあたって何となくわかってきたこと、それは消去法の人生もりっぱな積極的選択ではないかということです。当時の自分が医学部に行こうと決断したのが高校2年の秋でしたが、その当時は理系が得意で親父の背中を見て医師という職業も悪くはないかなくらいの気持ちだったのかもしれません。周囲からは決められたレールに乗るであろう期待が重荷になった時代もありました。よく病める人を助けたいから医師になるという言葉を聞きます。それはそれでりっぱなことに違いありませんが、皆が皆そうとは限りません。そこでいつも思い出すのが中学高校の日本史で江戸幕府を開いたのは一代将軍家康です。これは常識であり教科書で次に登場するのが三代将軍家光なのです。二代将軍は秀忠と皆さんご存知でしたか?このように親父は初代院長で家康なのです。私は二代目で秀忠なわけです。家康が1603年から1605年の2年で征夷大将軍を秀忠に譲るのに対して秀忠がかの有名な三代将軍家光に譲るのは1623年です。なんと18年も将軍に君臨していたのです。秀忠は結構周囲のプレッシャーと戦いながらがんばったようです。世の中では常に背番号1と3は王と長島のように有名ですが、土井と黒江に挟まれた背番号2のショート上田を覚えている人は少ないものでそこが二代目の辛さでしょうか。

そして現在。ここまで走って来るとさすがにすごろくでいえば振り出しに戻って若返るという選択はあり得ず、スタート地点に戻れません。ドラえもんの机があれば人生をやり直すこともできるかもしれませんが、なかなかうまく事は運びません。今できる最善を尽くすことで精一杯です。それは現在の診療所をいかに経営的に安定させるかという経営者としての自分、自分の理想を追求する医師としての自分、そしてスタッフの管理やマネジメントしていく監督としての自分という三者が全て融合しなければうまく機能しないということを最近身に染みて感じています。昔の勤務医の頃は上司の先生の指示通りに医療を行って新しい知識や技術を吸収するだけで知的好奇心も満たされて楽しかったと今になってつくづく思います。泣き言を言っても時間は戻りませんので前へ進んで行くのみです。

そして未来。いずれ家光の時代になるかどうかは先の事で鬼が笑いそうですが、あと20年ばかりでお家騒動がやってくるかもしれません。自分が二代目のプレッシャーがあった分三代目のプレッシャーもかなりあるかもしれません。秀忠は歴史の教科書にはあまり登場しませんが、やっぱり二代目は秀忠が好きです。

カテゴリー: 日常のこと, 趣味のこと パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です