鶏口となるも、牛後となるなかれ

最近、この諺に思うところが多々あります。例えば、大病院の勤務医だった自分と今の個人診療所の長。どっちがお得?別にお得でもなんでもないわけですが、どっちのスタイルが自分には合っているのだろうかと。そこでその諺の登場です。諺を字のとおりに読んで解釈すると、後者の診療所の長の方がよいということになります。ただこれも一長一短いい面もあれば悪い面もあるため模範解答はないと思います。

では別の事例で考えてみましょう。例えば受験。大学受験は不合格でも翌年実力をつけてリベンジができますので、その年での勝負しかない中学受験を例にとってみます。東大医学部を卒業され作家であり受験指導で有名な灘高出身の和田秀樹先生曰く、「受験は合格点より数点上で合格するのが理想的である」と何かの本で読んだことがあります。少なくとも受験とは限られた定員枠に滑り込むための手段と考えればなるほど的を射ていると思います。他人との競争ですが、結局は自分との闘いで定員枠内に滑り込む目標点をクリアすれば合格可能なわけです。また別の本では中学などのリベンジできない受験では、ぎりぎりの合格点で滑り込んでも、その後の学校のレベルについていけるか?つまり喩がいいかどうかわかりませんが、ぎりぎりの伸びきったゴムひもで更に高いレベルについていけるかどうかも問題になります。ランクを一つ落として鶏口になった方がよい場合もあるのではないかという意見です。子供は無限に近い可能性を秘めているため、新しい環境でも社会に適応していける能力をそれまでの家庭や学校でしっかりと身に着けていれば問題ないと個人的には思います。しかしまだ十分に心身の発達ができてない場合、更につっこめば基本的な生活習慣などが身につかずに試験のための勉強のみを詰め込まれた場合は、新しい環境に適応できないのかもしれません。他の例を挙げてみますと、ミツバチの集団は働きものかどうかという能力で集団が上中下のクラスに分かれますが、次の実験で上のクラスのミツバチだけを集めて集団を作ったとしても、新しい集団の中でやはり上中下に分かれてしまうそうです。一方、働かない下のクラスのミツバチだけを集めると、新しい集団の中では新たに働き者のミツバチが出現して上のクラスを作るそうです。これは漫画ドラゴン桜で知りました。言い換えれば、頑張り屋さんだけが集まっても、その中で必ず怠け者が出てきます。しかし一度失敗しても挫折を乗り越えて新しい集団の中で頑張れば、必ずや花開く可能性はあるということを意味するのだと勝手に解釈しています。

話がそれましたが、最初の病院経営に戻ります。自分がスタッフならば過重労働や上司の存在に気を使いながらも医療に集中できます。しかし小さくとも長になると、医療者でありながら経営者であり管理者にもならなければいけません。鶏口と牛後どっちがお得?に対してそれぞれ意見はありますが、どちらに属そうが環境適応能力は必要です。自分の場合、鶏口と牛後どっちが似合っているかという正解は今だに持ちえませんが、今与えられた環境でできる限りのベストを尽くすということに変わりはありません。

今年も先月末に患者さんが毎年恒例で持ってこられたサギソウが順番に空へ飛び立つように咲き誇っています。この姿を見ると夏から秋の気配を感じ始めます。

サギソウ

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