妥協点を見出す

政治は妥協の賜物とよく言われます。外交上どうしても不利で納得いかなくても相手の言い分を聞いて足して2で割るという政治的落としどころは過去にもたくさん経験してきました。不合理なことも多々あります。世界平和のために国連が存在してその部門でも安保理は非常に大切な役割を果たすはずです。しかし実際は第二次世界大戦戦勝国の大国5か国のみに割り振られ、どこか1か国がNOと拒否権を突きつければ話は全てご和算になりますし、核の保有も認められています。いくら抑止力が重要といいながらも結局は大国の言いなりになっています。国連にはたくさんの国が加盟して1票をもっていますが、結局は大国の1票の方が重要です。同様に日本国内でも同じことが言えます。1票の格差と叫ばれて最高裁で違憲と判断されて是正勧告がなされていますが、一向に選挙制度改革は進みません。会社でも声の大きい人が何事にも有利な一方で黙っていると不利になります。また権力者の下についたものが得をするという利害関係も多くあります。このように現代社会に蔓延るいろいろな矛盾点を書き並べましたが、それでもルールはないよりあった方が良いに決まっています。なければ無法地帯化して更に皆が勝手なことをして社会が滅茶苦茶になってしまいます。でも真面目な人々や弱者が損をすることが多いのも事実です。真面目な人々が社会に嫌気がさしてしまう悪循環だけは必ず止めなければなりません。

昔は妥協という言葉は個人的に嫌いでした。若い頃は妥協という言葉の氷山の一角しか理解していませんでした。歳を追うごとにその言葉の海に隠れた本当に大切な部分が少しずつ理解できるようになりました。勿論、表面上の問題だけで事が片付けばこの上ないことですが、現実はそうはいきません。もっと身近なことでいえば、仕事上の契約しかり、対人関係にしかり、相手の立場に立って考えるということはその時点で妥協も伴うことだと思います。自分の言い分ばかり主張しても世の中ではうまく生きていけません。そこで相手の言い分をしっかり聞いてそこから妥協点を引き出してうまく着地点をみつけることもその人の重要な能力です。そしてその妥協点を引き出すという能力を身に着けるためには多様な人々の考えに接して経験していかなければ相手の立場に立てません。決して相手の立場を全て肯定せよと言っているわけではありません。肯定や否定はその個人の考えや意見であって相手の意見を受け入れることとは異なります。受け入れると相手も心を開いて自分の意見も聞いてくれます。そして譲れない部分は誰しも必ずあります。その譲れない部分は妥協せずに自己主張をして譲れる部分は譲る、それが妥協点を見出すということだと思っています。TPPは一体どうなるのでしょうか?

昔は決して妥協点を見出すことのできなかった私ですが、歳をとると昔は見えなかった物が老眼でいろいろと見えてきますが、一方で遠くの文字や近くの文字は余計に見えにくくなりました。いずれは耳も聞こえにくくなるかもしれませんが、自分にとって都合のいいことはよく聞こえて、都合の悪いことは聞こえにくくなっていくようです。

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