忘れることの大切さ

人間の記憶は脳の忘却との闘いであるとブログに書いたことがあります。脳の記憶の引き出しにいかに整理整頓してタッグシールをつけて必要な時に引き出せるか即ちアウトプットができるかが重要であることはいろいろなハウツー本などにも書かれています。そしてその忘却の波に対抗する手段としてエビングハウスの忘却曲線なるものも存在しこのことも以前書きました。しかし「人間は忘れる生き物である」という名言も過去の先人が言った言葉だと理解していますが、今回は忘れることの大切さについて少々書いてみたいと思います。

毎年9月には高校生の学校対抗クイズ王、そして年末には頭脳王なる番組があります。特に頭脳王は高校生クイズの優勝者が東大や京大に入学して新たに記憶力と計算力と独創的な発想力を駆使して日本一を競うものです。もはやその知識力は一般人からすると神憑り的に見えます。しかしその凄さを見るにつけて何となく自分もこんなになれれば人生変わっていたのにと毎年思ってしまうのです。その時インタビューで優勝者に司会者が「どうしてそんな難解なことを覚えているのですか?」と質問されると決まって「人が会話していたのを何気なく聞いていたら覚えていた」と答えます。実に脳の記憶をつかさどる海馬が異常に発達しているのでしょう。しかし逆に嫌なことや悲しいことも決して一度海馬に記憶されると忘れることができないのではないかと勝手に推測してしまいます。もしそのような悲しい出来事が記憶から離れないとしたらこれもまた悲劇です。勿論、本当に悲しい記憶なんて絶対に脳裏から消え去ることはあり得ません。しかし些細な仲間内の喧嘩やイザコザなどのつまらないことはすぐにでも消去して永遠に海馬から大脳に伝達されて記憶の引き出しに収納しなくてもいいはずです。しかし世の中にはその些細なことをクヨクヨといつまでも引きずる人がなんと多いことか!自分もそうだからそういっているのですが。「こんなつまらないこと。今反省したら即消去して絶対に思い出せないように記憶自体を消してやる!」と意気込めば意気込むほどまた翌日もいみったらしく記憶の片隅から蘇ってきて「本当に、もう!」と思ってしまうことって皆さんありませんか?しかし長い目で見るとそのような些細な忘れ去りたい記憶は近未来にはほとんどと言っていいほど引き出しには収納されてないはずです。これが今回の忘れることの大切さの真意です。そこで再び話は最初に戻りますが、一瞬で記憶のタッグ付き引き出しに収納してしまう天才君たちはもしかしたら忘却したいのにできないのでは?と言う我々とは反対のバトルを頭の中で繰り広げているのではないか?もしそうだとしたら天才君も逆に大変だなあといらぬ関心をもったわけです。

忘れることの大切さは一定量の記憶を脳に負担をかけないためにどうでもいいと脳が判断したことは嫌でもいつの間にか忘れて脳の記憶のバランスをとっているわけで、それに反して必死で年老いた脳を駆使して記憶しようとすることは更に大変なことなのでしょう。

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