器の小さい人間

以前、雑誌を読んでいたら裴英洙先生が器の小さい医者、大きい医者というコラムを書かれていました。最初は素通りしましたが、読んでみると非常に含蓄ある内容でした。自分の頭の中にインプットして整理してアウトプットするのにかなり時間がかかりました。それは器=理念×戦略×人間性に因数分解できるとのことです。また文章中には別の名言も引用されています。リクルートで多くの名雑誌を生み出し「創刊男」と呼ばれている、くらたまなぶ氏の「右手にロマン、左手にそろばん、心にジョーダン」という名言です。

もし誰かに「あなたは器が大きいと思いますか?」と質問します。すると「いえいえ、私は小さいです」とほとんどの人がそう答えると思います。「私は器が大きい」と答える人がいればその人は間違いなく「器の小さい人」に違いありません。つまり器の大きさという尺度は自分が決めるのではなく他人の物差しで決まるものです。ここまでは誰も異論を挟まないでしょう。ではその器の因数分解をみるとそのコラムには理念=ロマン、戦略=そろばん、人間性=ジョーダンと対比されていますが、自分の心の中にまさに腑に落ちたという感じです。自分の中には理念、理想をいつも秘めていますが、なかなかその夢に到達はできません。結局は行動や事態を計算予測して現実的な目標を達成するように努力します。ここまではサラリーマンでも経営者でも子供でも大人でも誰しも同じ行動をとるのではないでしょうか。それでは決定的に大きく事を左右する点は理念や戦略よりもむしろ人間性ではないかと結論づけました。その結論を頭の中で整理して理論的に間違ってないかを検証してアウトプットするために時間がかかったわけです。現時点では多分正しいのではないかと思うのですが、読まれている皆さんからすれば「違うよ。前の二者だよ」と言われるかもしれません。ですから現時点での自分の中での結果と言ったわけです。これから時間が経過していろいろな経験をしていくうちに結論が変わるかもしれませんが、それはそれでよいのです。

人間性と理念は非常に重要です。しかしそれだけでは霞のようなもので生きてはいけません。その周囲には現実的な戦略、そろばん勘定もしなければなりません。そして戦略、そろばん勘定をしてもそれを凌駕するだけの人間性や理念があれば器が大きいと周囲から思われるのでしょう。医師も教師も弁護士も政治家も皆「先生」と呼ばれます。皆がイエスキリストやマザーテレサのような聖職者ではありませんが、少しでも世の中のために相手に真心を与えようとするから敢えて「師」とか「先生」と呼ぶのでしょう。しかし最近の現状をみたら「あんた、本当に先生って呼ばれる資格あるの?」という人も多いように感じますがどうでしょうか?自らも襟を正して「先生」と呼ばれて恥ずかしくないようにロマンとそろばんと人間性を全てしっかりと身につけていきたいと思います。その過程を通して自分ではなく他人が「あの人は器が大きい」と自分を評価してもらえればこの上ないことですよね。でも自分はまだまだ本当に器が小さいと思うことがよくあります。

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