年賀状の住所録の整理をしながら

今年も年賀状を送るために宛名の住所録の整理を今月初旬から始めて先日全ての宛名印刷を終了しました。以前の手書きから比較すると常日頃から住所整理をしていますので数時間で全て完了です。約20年前から宛名職人なるソフトを購入して喪中や転勤などの住所変更などはその都度入力しています。昔はまとめて年末にやっていましたが、いざやる段になって住所変更の葉書を紛失したり、ソフトの不備がみつかったりでなかなかうまくはかどりません。ですからその都度の入力に変更しました。そうすると入力していくうちに不備がみつかっても次回までにいろいろと対策を考えたり新しいソフトにバージョンアップしたりしてスムーズに年の瀬を迎えることができるのです。特に喪中を頂いたのに誤って送ると失礼にあたるので注意しなければなりませんよね。以前はその年賀状の整理と宛名書きだけで年末の貴重な週末をかなり費やしていたことに間違いありません。勤務医の頃は特に年末は忙しくて年末までの投函に間に合わずに年始に届いた年賀をみながらヤバイと思いながら投函したこともありました。それがPCを使用して住所を管理しながらそのまま印刷までできるようになると本当に忙しい者にとっては楽になりました。一方で昔のように一枚一枚丁寧に宛名を書きながら相手の現在を思うような感慨深いことはなくなりました。ハードではかなり楽になったけれどハートは貧しくなったのかもしれません。ましてやお手製のゴム版で干支を描いた印刷は皆無になりました。たまにそのようなお手製の印刷を見かけることもありますが、見ると何とも言えない懐かしさと嬉しさがこみ上げてきます。個人的には自分も将来に再び童心に戻ってゴム版版画で彫刻刀を駆使して作成したいと思っていますが、いつになることやら?もし本当にゴム版印刷をしたらお届けした相手の心がほっこりすることは間違いないでしょう。年を重ねるにつれて年賀状の枚数が増えますが、いつの歳からか頭打ちになって減り始めます。まだ自分の場合は頭打ちですが、親をみていると昔は200や300枚はゆうに超えていたのに今は100枚程度になっています。送り送られる季節の挨拶が減るということはその人の人生そのもので盛者必衰の理を表すのでしょう。そして若いうちは結婚式などおめでたい席に呼ばれることが多かったのですが、いつの間にか葬式に出る回数が増えて逆転してしまいます。私もちょうどその境界あたりにいるようです。

そんなことを考えながら先週の日曜に現代の文明の利器で一気に味気ない宛名印刷を仕上げました。せめてもの自分の自己満足に対する罪滅ぼしのために裏面の印刷された季節の便りの印刷文字の横にそっと達筆ではありませんが、自筆で今の自分の状況やこの1年のことを相手の顔を思い出しながら数行書き込みます。その時が唯一相手を思う心を年賀に託してしたためる瞬間です。そしてポストに投函すると今年もいよいよ終わりだなあと感慨深くなります。そして相手からの同じように味気ない年賀状の裏に添えられた手書きの一言を年始に読むとまた今年もがんばるぞという気持がふつふつと湧いてくるのです。

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