地震が起こる度に思うこと

山口県は昔から地震が少ない地域だと子供ながらにも揺れの感覚で何となく感じていました。大学で上京した時、数か月に1回は揺れる関東の大地で「東京は地震が多くよく揺れるなあ」と感じたものです。それまでは山口で揺れたという記憶は年に1度でもあれば多かったと思っていました。しかし上京後に揺れる度合いが増えてくると感覚がどんどん麻痺してしまい震度3程度の揺れでは全くビビらなくなってしまった大学時代でした。その当時はまだ大地震は私が生まれてから経験が皆無で、首都直下型地震などという言葉は存在していませんでした。

大学卒業後山口に戻り地震のことは話題に出ませんでしたが、阪神淡路大震災で一変します。大震災のときは出雲に住んでいました。雪がちらついてあたり一面が真っ白になった朝一番の大きな揺れでした。山陰ですから神戸からはかなり離れていましたが、かなりの揺れを感じて飛び起きたのをよく覚えています。その当時は県立病院に勤務していましたのでその震災後に神戸市長田区の長田高校で救護班として5日間ほど出務しました。その時は震災から1か月近く経とうとしているのに火事の後でまだ焦げ臭い匂いが充満してがれきの山が至る所に残っていたのは今でも鮮明に覚えています。まるで昭和20年の敗戦国日本の写真を教科書で見たことがありましたが、そのさし絵さながらの光景でした。次は勿論、東日本大震災です。この震災はまだ記憶にも新しいのですが、自然に対する人間の無力さを見せつけられました。そして山口からは遥か遠くのため映像のみが先行して実際の凄まじさを阪神淡路大震災の現地にいたときのようには感じ取れませんでした。また阪神淡路大震災の時のように何か手助けはできないかと考えましたが、その当時は開業して現在の自分のテリトリーを離れること自体が、地元に住んでいる多くの患者さんに迷惑がかかることもわかっていましたので、自分の思いを行動で表現することはできませんでした。人間はその時々の置かれた立場によっていやがおうにでも動けない時もあるものだと感じた次第です。

そして今回の熊本大地震。スマホが木曜の夜にけたたましく鳴り始めました。一体何事かと思ってからおよそ10秒くらいでしょうか?大きな揺れを感じました。十分にテーブルの下に逃げ込む時間はありましたが、それ以上に体が一瞬凍りついたように動けなくなり呆然と立ち尽くしたと時に揺れがやってきました。その後も何度となくけたたましいスマホの警告音。その度に身構えます。そして翌朝の大参事を映像で見た時はやはりショックでした。更に翌日の夜も何回もけたたましく鳴ったスマホの警告音で地震の本震と余震の猛威にかなり恐怖を感じました。早く地震が終息してくれることを願うばかりで、月並みですが被災された方々にお見舞い申し上げることくらいしかできません。そしてどんな時でも今自分の立場でできることをしっかりとやっていかなければならないと思っています。

カテゴリー: 日常のこと パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です