過度な要求と無茶な要求

トランプ大統領の過度な要求が続いています。日米問わずに自動車メーカーに自国のためにメキシコではなくアメリカ本土に工場を建設して雇用拡大を図れとお願いというよりは一種の脅し文句で要求しています。これは企業論理から言えば無茶な要求ですが、国民目線からすれば大企業なんて倒産しかけたら税金で助けてもらえるのだから、大統領の言うことは当然で過度な要求にしか見えないかもしれません。とんだトバッチリでトヨタにまで火の粉が太平洋をはるばる越えてやってきました。しかし流石はトヨタ、日産、ホンダも含めて早々と大統領に対して自己アピールに抜かりはありません。企業は自国のために雇用を守り儲けて発展していくのですから無茶であっても過度な要求になるのです。

一方で電通や三菱電機などの過重労働問題は無茶な要求でしょう。今のご時世で100時間を超える時間外労働は労働基準法により医師の診察が要求されます。当院にもときにこのような100時間超えで会社から診断書を提出するように言われて患者さんが来ますが、当人にとってみれば「なんで病院に行かなきゃいけないの?ピンピンしているのに」くらいにしか思っていません。ですから100時間超は過度な要求の部類です。しかし電通の新入社員の自殺の件では報道の内容が事実なら無茶な要求に値します。理由はどうであれ労働基準のルールを明らかに逸脱してそれが原因で自殺してしまったのですから、これは無茶を通り越しています。書類送検された上司はトカゲのしっぽ切りにすぎません。その上司は我々と同世代で社訓にもあったように「死んでも働け」くらいのことを30年前の当時の上司から言われ続けてきたのですから。そして当時のブラウン管では時任三郎のリゲインのコマーシャルが流行して「24時間、戦えますか?」というフレーズが社会全体に違和感なく許容されていたのも事実です。今は昔で時代が変われば考え方も変わります。

では30年前の我々の研修医時代はどうだったでしょうか?労働時間は1日平均16時間くらいでした。現在の労働環境からすれば無茶な要求に見えますが、我々の時代だったら過度な要求にすぎませんでした。今の自分にとっては無茶ですが、今の研修医も最初の数年は人を助けるための技術を磨くためには寝る間を惜しんで働き勉強します。もし杓子定規に労働基準法を当てはめたら日本の医療はとっくに崩壊しています。目の前に死にそうな人がいても「はい、時間がきましたから後はよろしく!」なんて言えないでしょう。労基法の親玉の「官僚たちが時間外はしません」と言って皆が定時に帰宅していたら日本沈没です。そのような過重労働者が企業や国の中枢で社会を動かしているのも事実です。昔の自分と今の自分が議論を戦わせれば忸怩たる思いがこみ上げてきますが、それでも「昔なら正しかった」とか「今は軟弱になった」とは全然思いません。それは人間が生まれて子供から大人になり歳を取るにつれ考え方が変遷していくのと似ています。その時その時の年代の考え方があるように時代時代の考え方も生き物のように変わっていくのです。そこだけは肝に銘じて過度な要求と無茶な要求に対処していかなければなりません。

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