「下剋上受験」ドラマを見て~前編~

この1月から金曜の夜10時から「下剋上受験」というドラマをやっています。個人的にはドラマはあまり好きではないのでこの10年まともに欠かさずに見たドラマは「あまちゃん」か「ドラゴン桜」くらいだったでしょうか。今回このドラマに非常に肩入れしているのは勿論この10年間子供の受験というものに大きく関わってきたからに他ありません。ちょうど2年前にこの原作を書店で見つけて最初は「少しうさんくさいかな?」と思いながら読み進めていったのですが、読み終えると同時にこのノンフィクションは中学受験を通して親が子を想う愛情物語だということがわかりました。同じ子供を持つ親として、子供の幸せを祈る気持ちは万人共通でしょう。その表現型として中卒の父が子供へ託す幸への想いを中学受験という受験勉強を通して二人三脚でがんばっていく物語なのです。興味のない人には全く関係ないかもしれませんが、少しでも受験に本気で関わったことがある人にとっては共感できる部分が多々あるのです。

その共感者の一人が2年前の私でした。子供に中学受験をさせましたので塾にも行かせましたが、ある程度は親も子供の学力を知る必要があります。また塾で教えてもらっても本人が理解して消化しきれない難問も多々あります。そのような問題は捨て問と受験業界では呼ばれていますが、そのような問題を頑張らせても時間の無駄で不合格となってしまいます。後々にゆっくりと受験問題を味わうにはとても良問のことも多いのですが、制限時間内にその問題と格闘してしまうと「ドツボにはまって、さあ大変!」となる可能性大なのです。そして「不合格」の烙印を押されかねません。私もかつては数学が結構得意でしたので、中学受験算数つまり小学算数くらいはお手のものと高を括っていました。しかし中学受験算数はx、yという方程式を使えないのです。使って正解してもそれで受験校が不合格にすることはないのですが、やはり使えないなら使えないなりにどうにかその問題の解答を導こうとするのですが、その場合とてつもなく難問に変わってしまうのです。難問というよりは発想の転換が必要でその解法を教わると目から鱗が何枚も落ちるほど感激します。そのような解法は頭のまだ柔らかい小学生ならすぐに理解できるのですが、杓子定規で連立方程式で解こうとする私たち大人にとっては難解なのです。そのような算数脳を理解することは年老いた我々の石頭では不可能に近いほどの難関なのです。言い換えれば大人になっていく過程で全ての難解な問題をx、y、zに置き換えて何も考えずに淡々と複雑な社会問題を解き始めるのです。それはそれで大人として生きてゆく手段としては非常に素晴らしいツールなのですが、一方でその力任せに問題を解決しようとする手法ではどうしても限界が来るわけです。それがこの歳になって痛いほどわかるのです。若い頭には勝てないと。私もしみじみと感じました。そのような背景があってこの「下剋上受験」という本と出会い本の中でこの主人公のお父さんと会話が成立したのです。前置きが長くなりましたので本題は次回に回します。

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