東京での昔の通学路を歩いて~後遍~

前回の大学での思い出は6年間続きます。多くの記憶が大学の正門前で溢れ出してきましたが、到底全て書ききれませんので今回はそこから通学路の阿佐ヶ谷までの思い出をお話ししましょう。大学前の通りは現在でも医大通りと名前は変わりませんが、お店はほとんど変わりました。そして目の前にはタワマンがそびえています。3-4軒の当時利用していたお店が昔のまま残っていました。その医大通りから靖国通りのメイン通りに出て新宿駅まで歩いていきます。当日は春を通り越して初夏を思わせる陽気です。額が汗ばんでタオルで拭きながらハーフで有名な新宿3丁目を通り歌舞伎町を横目に見ます。私はあまり新宿3丁目には行きませんでしたが、友人達は朝までよくオカマバーで飲み明かしていました。昼間の歌舞伎町は今でも恐ろしくありませんが、当時は夜の歌舞伎町でも恐れることなく一人でも酔って歩いていました。若気の図々しさとまだ平和で良い時代だったのでしょう。今は夜なんて恐ろしくて一人では歩けません。通りを歩いていくと店は変われども通りの雰囲気は変わらずに当時を思い出しながら新宿駅から中央線に乗って阿佐ヶ谷まで向かいます。大久保、東中野、中野、高円寺と車窓は変われどもやはり昔の中央線沿線は多くの記憶が残っています。そしてまだ花弁が2割ほど残っていた桜並木や小学校を見るたびに当時も同じ光景を目にしていたことが一瞬で甦ります。阿佐ヶ谷駅のホームに降りたった時、多分10年ぶりになりますが、懐かしさが更に大きくなっていきます。


北口を出てアーケード街を通りますが、そこも8割は昔とは違うお店です。その中で当時から営業が続いているお店を見つけだすのは記憶の中の宝探しのようです。現実と過去の記憶が一致すると心臓の鼓動が一回ドクンと鳴り響くようです。それから昔のアパートに近づいてくると更に胸の鼓動が高鳴ってきます。10年前はあった6年間お世話になったアパートを見つけるとまずはホッとしました。私が入居したときが新築でしたので築35年です。周囲には新しいアパートが立ち並び昔のままひっそりと建っています。隣には大家さんがまだご健在で住んでいらっしゃいます。当時はちょうど現在の私と同じくらいの年齢で、現在は私の両親と同じ年代です。病気もされたようですがお元気のようです。当時はあまり大家さんと会話をしたことはなかったのですが、自分の子供が大学生になり当時の大家さんや両親と同い年の同じ立ち位置に立ったからでしょうか?東京を離れてから30年経過する今の方がとても親近感が湧いてきます。親子の世代がおよそ30年周期で巡ってきてその当時の親の気持ちがわかるとは正にこの事を言っているのでしょう。少しの間大家さんの自宅でその老夫婦と世間話をしました。東京でも高齢者が増え老老介護も増えて救急病院は満床で救急患者はたらい回しだそうです。一方で田舎は高齢化率が都会以上に上がってシャッター街が増えたことをお話ししました。次の30年後の自分の近未来像を映し出しているようでした。懐かしさと不安が同居した訪問でしたが、「また学会の時に電撃訪問します」とご挨拶をして、短い6時間の東京滞在を後にして飛行機に乗りました。

カテゴリー: 日常のこと パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です