東京での昔の通学路を歩いて~前遍~

いつもなら一泊二日で上京して学会に行くのですが、土曜日にどうしても外せない用事があり日曜日の日帰りで東京の学会に行ってきました。今回はスケジュールがタイトでしたので学会に参加しただけで内容としてはあまり実りのあるものではありませんでした。ちょうど昼時で2時間程度の空き時間がありましたので10年ぶりに新宿御苑前にある大学の校舎とかつて6年間住んでいた阿佐ヶ谷に立ち寄ってみました。ちょうど来年の3月に大学卒業30年になります。同時に東京を離れてからも30年です。10年、20年と区切りにはかつての思い出の地を踏むようにしていますが、今回がちょうど3回目になります。かつて中央線快速で阿佐ヶ谷から新宿まで15分でその後は新宿の歌舞伎町を横目に靖国通りを歩いて15分で大学に到着です。30年経っても自分のかつて6年間歩いた道は今でも続いています。ただその通りの沿線の建物は様変わりしています。特に昔食べていた食堂やレストランそして飲み屋さんなどはほとんど姿を消してしまいました。その中で稀有にも現在でも残っているお店を見つけるととても懐かしく嬉しくて感動ものです。自分が歳をとった分そのお店も年輪を重ねて古びて見えて現在の若者にとっては入りづらい場所かもしれませんが、私から見れば浦島太郎が戻ってきた時にほっと一息つける場所と言っても過言ではありません。「学生時代にクラブを終えてこの店でよく皆とビールを飲みながら飯を食ったなあ」と懐かしさに浸りながらの新宿駅から大学までの短くも長い15分の過去と現在を結ぶ思い出の通学路の旅です。

そして大学の正門前に着くとやはり想いが込み上げてきます。最初にこの正門をくぐった入学試験の雪の日が思い出されます。入学試験は一次試験と二次試験の小論文をこの大学の教室で受けて、面接は体育館で10か所以上に分かれて行われました。面接は目の前に面接官が3人並んで交代で質問しますが、形式は現在でも変わりないようです。面接官はその当時の教授でしたが、顔などは緊張して全く覚えていませんし、質問内容もほとんど記憶は遥か彼方に飛んでいますが、唯一今でも忘れられない質問がありました。読書についての質問でしたが、その面接担当教授は「君の一次試験は現役にしてはかなりできているようだが、高校時代にあまり本を読んでないようだね。司馬遼太郎と漢字で書けるかね?」と聞かれて自信なさげに「遼」と書いた記憶があります。正確に書けたという自信はありませんでした。するとその教授が「大学に入ったら多くの本を読んで見識を広げるように」と言われましたので、子供ながらにそれで合格したと信じていました。後で考えてみれば何の根拠もないのですが。入学後に自分の出席番号の後ろで慶応高校出身の友人が同じように聞かれて「福沢諭吉を漢字で書いてみなさい」と言われたそうですが、なんと母校の創始者なのに「諭」を「論」と間違えて「ろんきち」と書いて彼は間違いなく落ちたと思ったそうですが、晴れて6年間一緒に勉学を共にしました。それも今となっては懐かしい思い出です。まだまだ想いが込み上げてきますが次回に続きを。

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