夏休みの理科の自由研究は必要か?

自分が小学生の頃よりずっと以前から学校での夏休みの宿題に理科の自由研究と読書感想文がありました。現在に至っても個人的にその良くも悪しき伝統が脈々と学校で受け継がれています。はっきり言って私は小中学校でそのような課題は苦痛で嫌いでした。今年も6月に入って夏休みを1か月後に控えて世代を超えて今度は親として憂鬱な日々を過ごしています。今回は夏休みの自由研究について次回は読書感想文についての親として子供の教育という観点から私見を述べたいと思います。日本は官僚により支配され、教育行政は文科省が牛耳っています。ですからゆとり教育などとアホなこと言って教育レベルを下げてアホになったら英語教育にすり替えて脱ゆとりと朝令暮改の連続ですが、決して責任を取ろうとはしません。今回の文科省前事務次官の爆弾記者会見で官邸対元官僚の構図を見ても本当にこの人々は国の将来を心配しているのか?と疑問を持たざるを得ません。話が横にそれましたので本題に戻しましょう。

理科の自由研究を私も小中学校としてきました。当時でも子供ながら本当に意味があるのか?と思っていましたが、その点については親になった現在でも同じです。それをしたからといって自分の人生が大きく変わったとは思いません。自由研究というぐらいですのでやらない自由があってもいいのではないでしょうか。やりたければやればいい。それも自由ではないでしょうか。それともう一つの大きな理由は昔から感じていたことで現在も同じように感じていることなのですが、親の見栄張り研究が多いのです。小学生の頭でそんなこと思いつくのか?という素晴らしすぎる自由研究の多いこと。そして学校側も暗黙の了解でファーストネームの子供の名前のみで市の代表に選ばれ県のコンクールに出品されます。一方、大人の世界ではラストネームは有名教授の名前を書かなければ有名な学術論文として認められないためデータを改ざんして論文不正の温床となっています。この二者の違いはラストネームがあるかないかだけです。子供一人で研究の目的や方法、そして解析や結果から得られる考察など無理に決まっています。それなら最初から母親の名前をセカンドネーム、そしてラストネームは父親の名前をはっきりと記載して夏休みの共同自由研究にした方がよっぽどスッキリすると思いませんか?その道のプロが見ればどれくらい親が手伝ったかなんてすぐわかると思います。それを秋に文部科学大臣賞などと受賞されるのはかなり本来の目的や本質をゆがめているのではないかと思うのです。

そこで今回の結果と考察です。まず理科の自由研究は自由だから提出しない自由があってもよい。親との共同研究は共同研究者名をはっきり記載する。私も子供の自由研究にはアイデアを出しますが、実験は必ず自分でさせて結果も出させます。考察は子供一人では導けないのでサジェストすることはありますので共同研究者になります。昨年の次男の中学校で親が全く手伝わずに1枚の紙に書きなぐったような自由研究を見かけましたが、本来はそれが本当の子供の姿だと思います。また今年も悩ましい夏がもうすぐやって来ます。

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