語彙力こそ教養

突然ですが、私の好きな作家に齋藤孝さんと竹田恒泰さんがいます。顔写真から風貌や雰囲気が似ていると思っているのは私だけでしょうか?お互いに教授であり学者ですが、竹田先生は「そこまで言って委員会」のイメージが強く動という感じでしょうか。齋藤先生は本当に教育者という感じで静のイメージを強く感じます。今回はその齋藤先生の話題ですが、最近「語彙力こそが教養である」という本を読み感銘を受けました。以前、「読書力」という本をたまたま読んだことがきっかけでほとんど当時出版された齋藤先生の本を読みあさりました。しかし同じ作者の本を続けて読むと話す内容を変えてもその人物の底辺に流れる考え方は変わりませんので飽きがきます。そしてこの4-5年は齋藤先生の本を全く読んでいませんでした。しかし今回書店でこのタイトルを見た時「まさに今自分が求めているのはこれだ!」と感じて早速読んでみました。

大学受験から医師になってある程度臨床経験を積むまでの間は、語彙力よりも受験に必要な単語や医学専門用語を理解習得することが手一杯であまり読書という人間性を高めることはしてきませんでした。語彙そのものを私の中ではずっと現代国語という入試の範疇で一括りにしてきました。ですからあまり好きにもなれませんでした。しかし「読書力」を読んでから私の中で本のイメージが大いに変化しました。今回はその冒頭部分に「言葉は身の文」という諺から始まり、「語彙が豊かになれば、見える世界が変わる」つまり人生そのものが楽しくなるということをおっしゃっていました。なるほど昔は活字アレルギーで読書嫌いだった私が、何がきっかけか?活字に対して苦手意識が無くなりました。更にブログという手段で更に活字が好きになりました。その過程には自身の中での語彙力のアップが大きいと感じています。そのことについてはなんとなく以前から感じてはいたのですが、この本のタイトルのワンフレーズで確信に至りました。

自分の中で語彙力が増すとどのような化学変化が起きたかというと、まず物事に対して多様な見方ができるようになりました。一つの事象に関してもその解釈は多種多様にあります。自分では思いもつかぬ考え方があっても自分の中で語彙力によりそれを説明することができるようなります。例えば「ボキャ貧」の会話では「ヤバイ」「マズイ」「スゲー」など何語かを組み合わせると会話が成立します。しかし奥深さがありません。それに対して語彙力があるとそれを的確な表現として頭の中で整理できます。整理できるとそこでまた立ち止まって物事を考えることができて思慮深い行動がとれるようになったように思えます。英語の単語でも入試の時は赤単5000語などを使用して力づくで覚えようとしていましたが、今の人生では全く役立っていません。現在ネットでNHKの「ニュースで英会話」を毎朝30分程度以前から続けていますが、そのボキャは決して入試や英検に出る英単語ではないのですが、人生を渡っていく上ではとても役立つ語彙力の形成に繋がっています。

「語彙力こそが教養である」という本は私にとって久々のヒットでした。

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