横綱日馬富士引退とガバナンス

先日、日馬富士関が電撃引退しました。またもや角界の暴行問題です。暴行は今の世の中では絶対にいけません。そのことについては議論の余地がありませんし、今までのブログにも暴行については私見を述べてきましたので一切触れません。角界では親方と弟子の関係が親子以上の絆となってきた伝統もあるためちょっとしたことで軽く頭を叩くくらいの風潮はあってしかりだと思います。そのような行為を暴力ととらえるかどうかですが、現在では触ったら暴力行為と捉えかねない風潮ですので体と体がぶつかる格闘技などの世界ではどこまでが暴力でどこまでが躾でかわいがっているのかという線引きが困難な場合も多々あります。それが自然に拡大解釈という独り歩きを始めて今回のような問題が起きるのです。しかし今回は暴力以外で気になる問題点を論じてみたいと思います。

第一にテレビ、マスコミ報道が警察の捜査段階にも関わらずに大騒ぎして余計に当事者たちを追いこんだのではないか?騒いだから電撃引退意に繋がったのは間違いないと思います。貴乃花親方は被害届を警察に出していたのだからもう少し事の推移を見守っても良かったのではないか?また貴乃花親方はいくら捜査中だからといっても協会の事情聴取には応じないとそれこそ協会のガバナンスが問われます。昨今ガバナンスという言葉が独り歩きしていますが、神戸製鋼、三菱マテリアル、東レ、日産など数を挙げればきりがありません。更に言えば個人個人のガバナンスはどうかと問われて「私個人のガバナンスはちゃんとしております」と胸を張れる人が多くいるでしょうか?

第二に横綱審議員会が偉そうに物を申していますが、元来協会に横綱を推挙した責任はどこにいったのでしょうか?通常の企業の場合なら横綱審議委員長は代表として推挙した責任を謝罪すべきなのに、寧ろ貴ノ岩関の先輩への礼を失した態度が引き金になり日馬富士関の暴行を断罪しました。一方、暴行現場で傍観していた他の横綱を含む力士の行動ついては触れていません。傍観者に社会的責任はないのでしょうか?ある人は被害者を軽視して加害者贔屓だとか別の人は協会と横審がグルだと言っています。まず横審は推挙した責任をしっかりと謝罪すべきです。また協会内部で貴乃花親方と理事長の不仲を面白がって取り上げる報道もありましたが、そもそも協会のガバナンスがとれ理事同士の意思疎通がとれていれば暴行の翌日にはしかるべき処置をして大人同士の話し合いができたのではないかと思うのです。その意味からも協会内部のガバナンスが問われているのでしょう。

最後に先輩が注意をしている最中にスマホをいじって無視したら一般社会でも誰だって殴りたくなるかもしれません。殴ることは決してよくないのですが、そのような兄弟子と弟弟子の関係を許した角界の風潮はよくありません。これは以後の貴ノ岩関の復帰に大きな傷跡を残すでしょうが、若さゆえの過ちもあり一人の個人を社会が潰してはいけないと思います。協会、横審、力士の全てが反省しなければなりませんが、今回の事件で一番惜しいことは日馬富士関の引退という最悪の事態を防げなかったことです。

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