銃規制と核放棄と教育

毎月世界中のどこかで銃乱射が起きて犠牲者が発生しています。あるところではイスラム過激派が乱射していますが、アメリカという国では一般人でも銃が簡単に所持できて自分を守るための権利として認められています。日本人からすれば信じられない事ですが、お国が違えば思想も違うし自分の意見を言ってもまかり通らないことは多くあります。そして理不尽な殺戮が起きて非劇が待ち受けています。そしていつも民主党が銃規制を打ち出して共和党は銃を作る側からの献金もあり、更に危険に対しては銃で身を守らなければいけないと堂々巡りです。そして世論も半分は銃規制反対とでます。いつまで経っても変わらないアメリカ社会の現実です。そこで核放棄問題が登場します。国連安保理決議違反と銃所持規制の内政問題を一緒に論じることは不可能ですが、なんとなく北朝鮮の核保有と似ているとは思いませんか?ルール違反ですから北朝鮮は非難されるべきですが、一方でアメリカの攻撃から身を守るために我々は核武装をすると言います。決して認められるべきものではないのですが、アメリカ社会の不毛な銃規制の論議と同じで堂々巡りになっています。そしてアメリカ社会で何回も悲劇が繰り返されていますが、宇宙船から地球を覗くとアメリカ社会の銃問題も北朝鮮の核武装放棄を迫るアメリカのトランプ大統領はどっちもどっちに見えてくるのは私だけでしょうか?アメリカだけでは無理で中国やロシアはまた別の方向を向いています。日本は日米同盟でアメリカと同じ方向を向いているように見えますが、こと銃規制に関してはアメリカとの意見の相違は対極にあるのではないかと思います。別に北朝鮮を擁護するつもりは全然ありませんが、銃という問題からみれば北朝鮮もアメリカも同じように悲劇を繰り返しているのに引くに引けないのでとても不思議です。

メンツと実利はとても大切でその二者で世の中が流れていると言っても過言ではありません。その二者をうまく使い分けて交渉するのが外交術なのでしょう。単細胞である私にとってはその使い分けをうまくできないかといつも思いますが、事自分に関しては盲目になるといいましょうか、ちょっとした事でも堂々巡りになって結果を出せないことが多くあります。そのような小さな一つ一つの積み重ねがコミュニティをなして民族間の大きな問題となると銃規制なり核武装放棄問題へと発展していくのでしょう。

最後に今回の私の意見ですが、北朝鮮は国際間のルールを守るべきで核放棄を実行すべきです。そしてアメリカには銃で犠牲になることを考えたらもっと発展的な解決策を模索すべきだと思います。なんでも利点と欠点はあります。車だって同じことです。とても便利な代物ですが、一歩間違えると銃と同じように凶器に変わってしまいます。しかしその走る凶器を規制することはできません。できるとすれば車社会を放棄して江戸時代に戻るのかそれとも操る人間をしっかりと教育するしかないのです。だからこそ教育は大切で未来の人間をしっかりと育てて行かなければなりません。

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