母校の学園祭は30年ぶり

毎年10月の最後の週末に母校の学園祭があります。学生時代の記憶としては1年生の時にクラブから何人かが警備要員として体育館で山本達彦さんのコンサートに駆り出されました。その当時は若い女性に人気のあった歌手でワイワイ、キャーキャーという人だかりにロープを張って最前列で食い止めました。ですから最前列でコンサートを生で聞くことができた一生で唯一の経験です。その他の思い出として当時は学生の飲酒に関しては寛容で大学構内で明け方まで飲んでいました。今では構内での飲酒など考えられません。うちの大学は新宿御苑の近くの一等地にキャンパスがありますので敷地自体は普通の都会の小学校の校庭と建物くらいで広くはありません。ですから学園祭と言ってもこじんまりしています。更に医学部と看護学部の単科大学ですから多様性はありませんので学園祭といっても早慶のような盛り上がりには欠けます。一方で身内のための身内によるおもてなしでそれはそれで楽しい一面もあります。しかし学生時代は学園祭の時期に毎年バレーボールの試合が重なりほとんど催しに参加した記憶がありません。今年は長男が寮生となり新入生は必ず学園祭で焼き鳥を焼かなければならないという義務があるそうです。それなら30年前の記憶を辿りながら再び学園祭の雰囲気を感じたいと思い家内と一緒に上京して東京にいる長女も同伴で参加してきました。昨年と一昨年は長女の学園祭にも顔を出して同じように長女の作った焼きそばを食べてその後は学校見学をしました。今回はかつて自分の通ったキャンパスは30年経っても全くと言っていいほど昔と変わっていませんので目をつむってでも学内を歩き回れます。勝手に教室には入れませんが、遠目から眺めると当時を思い出すことができます。今回も長男にかこつけて実際は自分が昔にタイムスリップしたかったのかもしれません。

家内は私より1日早く現地に入りましたが、私は土曜の午後の新幹線に飛び乗り薄暗くなった東京駅に到着です。地下鉄を乗り継ぎ開演ギリギリで長男のダンス同好会の体育館での発表会を観ることができました。長男はダンス初心者のためこの1週間はほとんど練習漬けで体のあちこちが悲鳴をあげていたそうですが、どうにか乗りきり仲間と一緒にパーフォーマンスを見せてくれました。しかし頑張り過ぎたせいか?翌日には39度の熱を出してしんどそうでしたが、それでも解熱剤をのんで寮生の焼き鳥の手伝いをさせられていました。医師になれば熱でも仕事なんて当たり前ですが、我が子が熱でも働く姿を見るのは複雑な思いです。私は翌日の午前は学会に出席して午後にキャンパスに到着です。本日の我々は何も予定もなくちょっと寮に顔を出してあとは家内と長女の新宿でのデパートショッピングに付き合いました。長男が母校の後輩になってくれたことで30年を経て母校の学園祭に再び参加して当時の学生気分を満喫でき長男に感謝しなければなりません。普通なら翌日の仕事を考えて早めに東京を後にするのですが、今回は最終の新幹線で帰りましたので翌日の診療はしんどかったのですが充実感に溢れていました。

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