仕事に引退はあるか?

30年も仕事をしていると飽きてきます。仕事の達人は50年経過してもまだまだ仕事の極みに達することができずに日々勉強と言われます。何事もやればやるほど奥深く死ぬまでその境地にたどり着けないのでしょう。テレビのインタビューで超ベテラン職人の方が「まだまだ境地に達せず日々勉強です」と答えられるのを聞くと私などは超未熟者だと思ってしまいます。

「仕事とは何か?」とこの30年ずっと哲学的に考えてきましたが、最初の10年は仕事に慣れて習得するのに精一杯で哲学的に考えることなどありません。次の10年になると仕事の面白さもわかり家族もできて仕事は食い扶持のための目的に変化します。それだけではありませんが、仕事の対価であるお金という存在を意識せざるを得なくなります。そして最近の10年は惰性と倦怠期もありますが、一番生活にお金がかかりますので「やるっきゃない10年」になります。なかなか邪念が入ってくると純粋に仕事のみで生きていくには難しい時期でもあります。昔ならこの時期になると定年で60歳近くになりあまり悩まなくても一旦リセットになりますが、人生100年という謳い文句のこれからの時代ではまだまだ仕事が続きます。そこで新たな仕事に対するモチベーションを自分の意識下に吹き込まなければなりません。そこで仕事は生きがいか?はたまた社会奉仕か?という迷題に突入していきます。

書店で自己啓発やビジネスとは何ぞや?というお題の書籍が所狭しに並んでいます。またそのタイトルの本が手を変え品を変えて出てきます。多分人間は誰も生きているうちに必ずや一度は通過しなければいけない関門なのでしょう。そして本のタイトルには生きがいとか自己実現とか社会奉仕というキーワードが多く見受けられます。個人的にはどの言葉もまだ自分の現在の境地ではしっくりきません。ただし20年前の自分よりは少しは成長しているはずで過去の自分ならそのような単語を並べられても全くピンとこなかったのですが、現在の自分では何となくその言葉の意味が少しはわかるようにはなりました。しかしまだ自分の境地に踏み込んでくるほどのインパクトはないのです。あと20年もして50年同じ仕事に打ち込めばもう少しその境地がわかるかもしれません。しかしその前に不謹慎かもしれませんが、同じ仕事を続けていると飽きてくることもあります。その飽きについてはある人は「未熟者だからそんなことを言うのだ」と言い、一方で別の転職してきた人は「まだ自分にあった仕事に出会えてないのだ」と言います。どちらの言い分も一理ありますが、正解はありません。ただこの歳になってから転職なんて厳しいのが事実で、仕事は仕事と割り切って残った時間を自分にとって仕事以外の事に費やしたいと最近思うようになってきました。不幸中の幸いにも国家資格のある医師免許は死ぬまで有効です。死ぬまで医者をしようとは到底思っていませんが、いつまでも続けられる反面、車の免許と同じで引き際を間違えてしまう可能性もあるのです。

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