プライドは邪魔なだけで初心忘れるべからず

先週から当院の事務に新人スタッフが入職しました。スタッフの入退職自体はよくあることですが、新卒のスタッフの入職は滅多にありません。過去20年に一度だけ高卒の新人さんに当院で数年間働いてもらったことがありますが、それも10年近く前のことです。自分でもそうでしたが、卒業して最初の職場はとても緊張してストレスの塊なのですが、長い人生の後に振り返ってみると物事に対して一番真摯で前向きです。そして見ることする事全てが初めてのため緊張の連続ですが、無知のためわからない事は何の恥ずかしげもなく質問できます。しかし年数が経過してくると「こんな事を聞くのは恥ずかしい」などと変なプライドが入り混じって素直に聞くことができないことが多々でてきます。以前の自分もそうでした。昔の話ですが、よくある少しプライドがあって人には聞けない過去の自分を人には何でも聞ける現在の自分に変えてくれた出来事がありました。新人の時の初心忘れるべからずの教訓として老婆心ながら過去の記憶を紐解いてみたいと思います。

医師になって最初の半年は研修期間で本当に右も左もわからないため全ての事に対してイエスマンしかあり得ません。それは先輩医師以外の看護師や薬剤師など全てのスタッフに対しても身分上は自分が上であっても経験年数からすれば全ての事に対して返事はイエスしかありません。しかしそこで仕事をいろいろ覚えていきます。相手もいずれは本当の自分の上司になる相手に対して「先生、何してんですか!」と厳しい言葉を浴びせてきますが、それも後になると有難い叱責なのです。その時はなかなか当人にはわかりません。

半年過ぎて研修先から派遣先の病院に変わると中身は全くの0.1人前ですが、周囲のスタッフは一人前として対応してきます。こちらもプライドと世間体などいろいろな気持ちが交錯しながら背伸びをして強がります。それはそれで大切な事なのですが、逆に悪い面も出てきます。特に自分の部下に叱責されるとやはり頭に来ることもありました。今思えば若気の至りなのですが、その当時は気付きません。2年目のある時、臨床工学士のスタッフと言い合いになりました。明らかに自分が無知であったにもかかわらず変なプライドが邪魔をしました。その夜すごく悔しかったのですが、明らかに相手の言い分の方が正しいのです。翌日、その臨床工学士の方に謝罪して教えを乞いました。そうすると多くの資料や教科書のコピーをいただきました。それを必死で勉強したのも若かったからこそできたのだと思います。あれから25年、自分にとっての人生の恩師とはお会いしていませんが、毎年の年賀状で交流は続いています。その時の教訓として学んだことは、自分の無知を相手に言う事が恥ずかしいことではなく、無知を隠して知ったかぶりをして相手に自分が無知であることを悟られる事の方が恥ずかしいことなのです。それ以来、「分からないことは分からない」「知らないことは知らない」と誰にでも恥ずかしげもなく言えるようになり「だから悪いけど教えて」と年下でも部下でも言えるようになりました。歳をとるとプライドは邪魔するだけで、初心忘れるべからずと新人さんへの先輩からの助言です。

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