北海道までの長い道のり

コロナ禍での2020夏のGo toは多くの問題がありましたが、それでも個人、家族、それぞれの地域に住む人の思いは異なります。皆が皆右向け右という行動は戦後75年の民主主義国家ではありえませんし、戦勝国によって牙を抜かれた敗戦国憲法の条文を読めば緊急事態宣言という他国では簡単に実施できるロックダウンさえできません。また現在はネットという簡単に自分の感情や思想を語れるツールがありメディアと結託していとも簡単に世論を形成することができます。そしてそのネット世論が日本全体に大きく影響を与えて7月にはGo toに対する意見がマックスに達します。しかし本当にそのネット世論が正しかったのかどうかは後世が判断することになります。

話は変わり1985年11月に私は北海道の一人旅をしました。その時に日程的に行けなかった道東に将来必ず戻って来ようと決めていました。しかし35年なかなかそのチャンスが訪れませんでした。コロナの話題と関係なく昨年から今夏の北海道旅行を計画して今回を逃すと家族で行けるチャンスは皆無だと考えていましたので、私にとって来年に先送りという選択肢はありませんでした。北海道から帰って体調も問題なく10月からは東京もGo to参加になり自分の心の中で喪も明けましたので今回のブログを書いています。

2020年1月になるとちらほらとネットで旅行予約が可能となります。昨年からの計画に満を持して1月下旬にはネット予約を完了しました。それから4月に緊急事態宣言です。再び夏に緊急事態宣言が発出されれば旅行を諦めるつもりでしたが、右とも左とも行けとも行くなともわかりづらい判断を行政は個人に委ねてきました。よって今回の個人的なGo toの決断は感染防止をしっかりとして他人に迷惑をかけない行動をとるという大前提での北海道旅行です。それでも日に日に感染者数が増えると心も揺れました。また大学生の長女と長男には出発1週間前から外出禁止令を出してしっかりと安全対策を施して出発3日前からは毎日メールでの健康確認です。少しでも体調変化があれば旅行を即刻キャンセルする手筈を整えてのカウントダウンです。幸いにも健康状態は二人とも問題ありませんでしたが、更に出発後の最初の2日間はホテルの部屋も別に用意しました。移動中はマスクをして車中でも車の運転をさせることにより可能性として一番周囲に感染させにくい位置をキープさせそして車内の換気も定期的に行いました。個人的に考えられる対策は全て行った上での旅の最初の2日間と出発直前1週間を合計して「ほぼ感染のリスクはなし」と判断した後の3日目からは同じ部屋に合流です。

そこまでするなら行かない方が良いのではという意見も聞こえてきそうですが、それでも行きたいこともあるのです。来年に持ち越せれば持ち越したいのですが、来年は次男の受験が始まり夏はそれどころではありません。再来年は順調にいけば長女の国家試験と続き本当に家族皆で行動を共にすることは不可能なのです。一生ないかもしれません。そのような想いの詰まった北海道への旅の5日間が始まりました。       TO BE CONTINUED

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