フェードアウト

「立つ鳥跡を濁さず」と日本では言いますが、前米国大統領は「跡をかき混ぜ濁して」次へとバトンタッチをしました。民主主義の成熟した国とはよく言ったものです。何かあれば個人の権利の主張とばかりに暴動、略奪を起こして自己防衛のために銃保持も可能で発砲事件も後を絶たずいつも犠牲者が泣きをみます。そしてあれだけコロナ感染で死亡者が何十万人と出ているのにアメリカ国民は民主主義の主張の方が大切なようです。やはり日本と米国では物の見方や考え方が全く異なるのでしょう。そのアメリカの象徴である大統領の振る舞いが我々からすれば奇異に見えますが、アメリカ国民の半数弱はそのトランプ氏を支持したわけで、いくら民意だと言っても理解に苦しみます。やはり「終わり良ければ総て良し」という諺通りにはいかないようです。

我々の年代も60歳間近となり20年前なら定年退職して「さあ、第二の人生をどうすればよいだろう」と考えなければいけない時期にさしかかってきました。「人生70年」は40年前に言われていて20年前には「人生80年」に変わりました。そして現在では「人生90年」となりつつあり、20年後には「人生100年」に到達する勢いです。数字上では大きい事は良い事かもしれませんが、内容が伴わなければ全く意味がありません。人の力を借りずに生きる事が誰しも最大の目標であることに間違いはないでしょう。そのためにはそれなりの自己努力が必要なのは当然です。「好き勝手な人生を送っておいて最後だけ他人の力を借りる」という生き方は身勝手でしょう。そのような老人にはなりたくないので、自分は過去も現在も未来も努力していくつもりです。そして「カッコイイ老人になりたいなあ」とずっと思っています。

この歳になりブログで自分の人生の歩みを10年近くも書いていると必然的にブログの内容にも人生や仕事からのフェードアウトについて触れる回数もこれからは増えてくると思います。最初にアメリカの国民性について書きましたが、だからと言って日本人が正しいとは全然思いません。アメリカ人以上に悪い事も多々あります。それについて今回は触れませんが、昔からアメリカ人を見ていいなあと思う事は、「リタイアや転職に対して未練がなく第二の人生をしっかりと生きる」という風土がしっかりと根付いていることです。そう書くと必ず反論が出ますが、その反論に対して反論する気は毛頭ありません。人はそれぞれ考え方が異なり、個人でそのポリシーを優先させればよいだけです。昔からの自分の人生設計では「60歳でリタイア」というのが大きな目標でした。しかし現実としてはその願いは叶いそうにはありませんが、「自分の第二の人生の目標やゴールをどこに置くのか」そしてそのためには「どのように現在の自分の状況からフェードアウトしていくのか」をこの3年で真剣に考えなければいけない時期にさしかかったということです。まだまだ先は見えませんが、おぼろげながら霧の向こうにあるものも見えつつあります。それがどんなものかはまだはっきりしませんが、いずれうっすらと形が見えてくるかもしれません。

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