才能と人格を兼ね備える人物

以前に新たな才能の発掘についてブログに書きましたが、人それぞれが適した才能を開花できれば自分も楽しいし生活も豊かになります。才能は多種多様で莫大な数で存在しますので、その才能が各個人とマッチすれば社会にも貢献でき自身の人生も充実します。才能は必ず自身にも社会にも貢献しますが、才能ある人が人格者であるとは限りません。むしろ才能がお金儲けの道具と化し社会悪になることさえもあります。人格とは全く別物ですが、人格自体が人を惹きつける一種の才能かもしれません。人間社会でコミュニケーションを取りうまく相手と調和していくためには人格は必須です。才能と人格を対比すると才能は個人の能力で誰にも真似できないものであり、一方で人格は相手が必要で対人関係の能力で努力で身につけることができるものと言えるかもしれません。

この世の中を見渡しても才能と人格を兼ね備えた人物はなかなか存在しません。才能だけをクローズアップすれば世の中にはたくさんいます。例えばプロ野球選手、サッカー選手等々。そして大学を見れば教授、会社では社長なども才能の一端を発揮した結果です。ただしその才能の中で人格も備えた人物というとかなり減って来るでしょう。一方で人格という面をクローズアップするとこれは生まれつきに天から与えられたものではなく、その人が生きていくうちに自然と学習して身につけたものです。勿論、幼少時の親の影響も大きいと思いますが、それだけで規定されるものでもありません。その後のその人の生き方によっていくらでも人格は良い方向にも悪い方向にも変化していきます。

以前ならスポーツ新聞や週刊誌を買って才能ある芸能人やスポーツ選手の醜態が面白おかしく書かれた記事を読んで「才能ある人が自身のテリトリー以外では本当に人として大丈夫か?」とよく思ったものでした。しかし現在ではネットによりそのようなゴシップが嘘か真実かは別として手に取るように入手できます。ネットが発達した現在でも才能と人格を兼ね備えた成人君主にはなかなか出会えません。才能を駆使して物事を突き詰めた人物は一挙一動も洗練されて凄いなあと思うのですが、最近はなかなかそのような人物に出会えないのです。それはそのような人物が減ったのか、それとも昔ならネットがなく情報がそこまで乱立しなかったので人格者と思っていた人の化けの皮が剥がれなかったのかもしれませんし、もしかしたら自分自身がちょっぴり成長したのかもしれません。

いずれにせよ才能と人格を兼ね備えた人物が世の中を動かしていくことには間違いありませんが、それぞれの評価は全く異なります。どちらも社会にとっては必須ですが、普段の生活では才能よりも人格が優先されるでしょう。自分も才能があまりない分、それを努力でカバーしてきました。人格は理論的には努力で変える事ができますが、生まれ育った気質や生まれ持った性格を変える事は実際には困難です。それでも人格評価を少しでも上げたいと思うのは世の人の気持ちでしょう。この歳になると才能はどうでもよくなって少しでも人格で世の中から評価されたくなります。

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