新型コロナは思考停止を引き起こす

4月には緊急事態宣言が発出されて全国に新型コロナの第4波が押し寄せてきました。山口県でも1日の新規患者数が50人を超える事もありました。小中学校でも変異株が検出されて昨年の同時期のコロナ拡散とは少し異なる様相を呈しています。しかし変わらないのが人々の思考回路です。コロナ疲れとかコロナ慣れが世間で新型コロナの拡散と同様に確かに蔓延しています。しかし相変わらずの政治の体たらくで1年経ってもお願いベースで相手頼みの宣言しかできません。日本では憲法で個人への制限はできないと専門家は言います。それなら非常事態には憲法で個人に制限をかければ良いだけの事です。それが政治というものではないのでしょうか。その発言に対して必ず第二次世界大戦での敗戦の原因が大日本帝国憲法にあり個人の自由を制限して国の統制下に置いた事への反省と決して戦争をしてはいけないという現在の平和国憲法の理念が議論されます。誰も戦争しようと言っているのではなく、敢えて闘いという言葉を使えばウィルスとの闘いは非常事態なので国民の自由に制限をかけるべきだとなぜ政治家は言えないのでしょうか?勿論、制限をかければ補償も必須です。しかしその補償となると政治家の威勢が更に萎んでしまいます。お札を刷るだけで人の金だから他人事のようにできないのでしょうか。普段は国民の税金を無駄にしても何とも思わない政治家たちがこのような非常事態には全くの思考停止に陥っています。なぜ前向きに検討出来ないのかが私には理解不能です。

次にもう少し日常の場面に目を移してみます。学校の児童に新型コロナが出た時にその周囲がいきなり思考停止に陥ります。一般的に濃厚接触者はその児童の家族と敢えて言えば同じクラスの児童まででしょうか。それを学校なのか保健所なのか知りませんが、翌日までにPCR検査を学校全体まで広げるのか、濃厚接触者までにするのかを一斉メールで配信しません。そんな事考えればすぐにわかるのですが、行政もその呪縛から逃れられないようです。また周囲の反応も一旦新型コロナ陽性者が出るといきなりその児童と学年が違ってもあたかも同じクラスの隣の席に座っていたかのように勘違いをしてしまいます。特に診療所に訪れる患者さんからも自粛した方が良いのか?と質問されます。そこで私はこう質問します。「病院には新型コロナの方が来ている可能性もあるのによく平気で病院に来られますよね?」そうすると皆さん黙ります。「病院には必要不可欠?だから敢えてコロナがいるかもしれないのに来るわけですから学校の隣のクラスの児童に新型コロナが仮に出たとしても普通にして行動制限なんか必要ないのではないですか」と言って更に「そんな事言ったら我々医療従事者は皆が行動制限をして自粛になりますので医療そのものが成立しなくなります」とダメ出しをしますと皆さん安心された顔で帰られます。どうも新型コロナと聞いただけで国民の多くは思考停止に陥るようですが、少し冷静に考えればわかるはずです。「正しい知識で正しく恐れて正しい行動」をすればそれなりの感染症として必ず抑え込めるのです。やるかやらないかは国民一人一人にかかっているのです。

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