卒業

コロナ禍で昨年の卒業式は父兄の出席は不可でした。当時は1年後の出席は可能だろうと呑気に考えていましたが、結局今年の卒業式も昨年同様に本人たちと教職員のみの式となりました。仕方ないと言えば仕方ないのですが、何ともやるせない気持ちになってしまいます。入学式は通常の日でしたので家内が出席して私は出席していません。昔なら父親の入学や卒業式の出席などあり得ませんでしたが、昨今では父親の参加も当然のようになってきています。仮にコロナ禍でなくとも普通の日なら仕事があり世の父親は出席できない方も多いのではないかと思います。最初にこの学校に足を踏み入れたのは次男が小6夏のオープンスクールでした。そして幸運にも入学試験に合格して晴れて6年前の2月に学校説明会で意気揚々に足を運んだのは昨日のことのようです。それから入寮して色々な経験をした6年間でした。子供としての思い出は多くあると思いますが、親としてはまずは学業成績が当然の如く最優先となります。しかし1年の1学期に早速勉強方法などに躓いてそれからは受験用語で深海魚となりました。深海魚とはいつも学業成績が振るわず底辺に位置していて海底に住んでいる魚に喩えられ卒業まで水面に浮上できないことを揶揄する言葉です。別に深海魚でも最終的に貴重な経験をして立派な大人になれば全然気にすることなどないのですが、親としては少しでも浮上してほしいのも事実です。結局、6年間浮上できずに卒業となってしまいましたが、それにより前回お話したように1年間の時間というギフトを頂きましたので結果的には良かったのでは無理やり解釈しています。一方で学校生活では運動会や文化祭や修学旅行など多くの思い出が存在します。そして何といっても規則で雁字搦めの寮で過ごした6年間の学生時代は色々と腹の立つ事も多くいつも寮について不満を言っていた次男ですが、後になればきっと貴重な思い出になってその体験は必ず将来の人間として成長にプラスになるはずです。

2月中は自由登校で実家にいましたが、卒業式前後の2日間は最後の寮生活で佐賀に戻っていきました。自分も当時の卒業式を思い出してみると卒業証書授与の瞬間は全て思い出せませんが、その後のホームルームや証書を持って学校の門を後にする瞬間は今でも鮮明に残っています。その瞬間を次男もいつまでも脳裏に焼け付けるはずです。やはり小学校よりも中学高校の方が心身共に成長するため多くの思い出や記憶が残るのですが、大学での思い出はまた次元が異なります。そのような貴重な時間を体験できる若人が我々から見れば羨ましく思えます。帰れるものならティーンエイジャーに戻りたい人も多いのではないかと思います。一方で若返ってもまた苦しい勉強をするのかと思うとウンザリしてきますが、最近はそのウンザリする勉強も楽しく感じ始めました。子供たちの生き生きとした後ろ姿を見ると現在の自分も元気になります。そしてこのギフトの1年間で更に良き思い出を作るために次男と一緒に歩んでいきたいと思っています。そしてこのギフトが次男にとって来年の新たな一歩にしてほしいのです。

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