次世代に引き継ぐ

次世代に引き継ぐということは、親から子にバトンタッチをするばかりが全てではありません。全くの赤の他人からちょっとしたことを引き継ぐことも多くあります。今回はちょっとしたそんな事を感じる出来事がありましたので過去から色々と振り返ってみようと思います。先日ある方から「今まで自分の趣味で帆船の模型を作ってきたが、歳を重ねてきて自分の趣味を今後どう残すかということを考えて、その結論として模型のうちの1艘を私に贈呈したい」とのことで持参されました。それは立派な帆船で完成までに2年の月日を要したとのことです。そしてその模型を私が一番リラックスできる場所に置いて眺めてほしいとの要望です。このような申し出は初めてで一瞬戸惑いましたが、即座に頂くことにしました。そしてなぜ人はそのような事を考えるのかを考えてみました。

子供がいれば自分の仕事を引き継いでほしいと親の身勝手で一瞬思うことは誰にでもあります。そしてその行為を「親から敢えて継がされた」と表現することにします。その際には「継がされた自分にはもっと素晴らしい他の人生があったのではないか」と幻想を抱くこともあります。隣の芝生は青いのです。その道にはその道の良さや苦しさなど全てが凝縮されていますが、そのような迷いを生じることも長い人生にはあります。しかし親の遺伝子を受け継ぐのですから、着慣れた衣を貰った方が良いことも多くあります。

では全く血縁関係のない場合はどうでしょうか。例えば技を極めた達人がその伝統を次世代に伝えていくためには自分の子供ではなく全くの赤の他人である弟子に極意を伝えるケースもよく目にします。これは血縁という最も強い絆を超越することで人間としてとても神聖なものであると個人的には思っています。今回の模型を頂いた件についても自分の中で次世代に引き継ぐということがどういう意味なのかを頂いた帆船の模型を眺めながら色々と考えました。自分の子供に自分のやって来た事を引き継がせることは、私自身が引き継いだ経験もあり絶対にさせるつもりはありません。しかし子供自身が自分の生き方を考えた時に「敢えて新しい困難な道を選ぶか」若しくは「引き継ぐこと自体は楽に見えても実際には色々な重圧がありそれに耐えることができるか」を判断して決めればいいだけのことです。個人の自己責任において人生を全うすればよいだけのことです。

小学校の桜が散ると同時に当院のやまほうしの緑の息吹が芽生えます。また時を同じくして牡丹が咲きます。その牡丹は20年前に島根の大根島からの行商のおばあさんをひょんなことから車に乗せて新南陽駅まで送りました。詳細は以前のブログに書きましたが、そのおばあさんからお礼で牡丹の苗を頂いて鉢植えをしました。折しも私の祖母が亡くなった時でした。頂いたおばあさんもご健在なら100歳を超えておられます。毎年この時期にピンク色の花が一瞬の間ですが鮮やかに咲き誇ります。これもある意味では私が次世代として引き継いだものかもしれません。毎年この時期に新しい生命を感じて、今回新たに模型を眺めながら、世代を超えて引き継ぐ大切なものが存在することを実感しています。

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