平凡な毎日の幸せ

ウクライナではロシアの侵略がありました。北朝鮮はこれ幸いとミサイルの発射を繰り返しています。ロシアは自国の安全のためという大義名分で侵略を始めました。北朝鮮も自国の安全のために核開発を進めています。一方で敗戦国の日本は北方領土を戦勝国である旧ソ連にとられました。日本は戦後一貫して北方領土返還を訴えてきましたが、その願いは叶えられません。今回のウクライナ侵略で更に返還交渉は困難になったと言わざるを得ません。北朝鮮の拉致問題も核開発も日本にとって最重要課題ですが、残念なことに現状で良い方向に向かう兆しさえ見えません。日本にとって最大の懸案以外にも韓国の領土や従軍慰安婦問題、中国との尖閣問題など周辺国とは多くの問題が山積しています。そのような中での今回のロシアのウクライナ侵略問題は遥か離れた日本にとっても対岸の火事では済まされないことは誰の目にも明らかです。

結局のところ民族同士で争いが起こるのは縄張り争いという大昔からパターンは全く変わりません。第一次世界大戦、第二次世界大戦と過ちを繰り返しても喉元過ぎれば熱さを忘れるようにまた世界の至る所で争いが繰り広げられます。島国の日本人は平和ボケしているのかもしれませんが、ボケても平和が続くことにこしたことはありません。毎日毎日飛んでくるミサイルや敵の軍隊に恐れて過ごすほど過酷な状況はありません。そんなウクライナ人の現地の状況を見ながら毎日我が事のようにため息が出ます。少し前までは新型コロナ感染で全世界が騒いでいたのが、いつの間にか争いの話題にすり替わってしまいました。決して新型コロナが消え去ったわけではありませんが、事態の重大さがコロナよりも優先されてしまっただけです。

この数年間は本当に毎日が重くどんよりとした日々でした。それまでもその当時は色々な問題を抱えて決して明るい社会とは言いきれませんでしたが、新型コロナ感染を境に今回の一連のウクライナ侵略も含めて平凡な世の中がいかに大切であるかということを自分も含めて皆さんも実感しているのではないでしょうか。いずれ新型コロナが普通の風邪になりウクライナ侵略も交渉してどこかで妥協をするのでしょうが、その間に失われた尊い命は戻って来ません。そして「平凡でも平和な日々が続くことがなんて幸せなのだろう」という気持ちに世界中でなりたいものです。

人間とは欲張りなもので平凡な日々が続くと何かが物足りなくなります。それは国家単位でも個人でも同じです。そして何かしら競争を好みます。国家単位では武器を使用しなくともいくらでも争いはあります。この10年自分史を振り返ってみても自分自身が競争の真っ只中に放り込まれてもがいたり、争いに巻きこまれそうになったり色々な事がありました。ただその争いは結果として自分や子供の成長に役立ったと思います。一方で戦争や核保有など武器を使用する争いは本当に空しく思えます。個人から国家まで色々な争いが存在しますが、この世から少しでも減らす努力だけは続けなければなりません。

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