異国の地で自分を見つめ直す

何年かに一度日本を脱出して海外へ行きます。スキューバダイビングを兼ねた旅行が主ですが、いつも日本人に生まれてよかったということを強く思いながら帰国します。しかし空港で出国手続きをする時はほんの一瞬ですが、携帯電話や仕事などの目に見えない首輪と鎖から解放された気分に酔いしれてしまいます。日本にいるときに同じ感覚を味わうことはほぼ皆無ですが、敢えて言えば海に潜っているほんのひとときといったところでしょうか。それだけ現代社会は目に見えないけれどたくさんの宇宙から降り注ぐ有害な紫外線や電磁線の如く人体に有害なストレス光線や携帯の周波数光線に一部始終曝されているのだと思います。勿論、海外でも物理的には同じような光線に曝されているのに変わりはありません。まだ見ぬ異国の地の非日常空間で異次元の世界に立っているため、さしあたり今からどうすればいいかという目先の不安やストレスが先行して、今までのマンネリ化した日常のストレスなどは吹っ飛んでしまいます。それがまた何とも言えず快感です。

異国の地に降り立つと今までの日本では常識と思っていたことが180度覆ることがよくあります。また日本人として昔は持っていたけど今はどこかに置き忘れてしまったものなどが突然脳裏に蘇ってきます。現地の空気を吸って触れてちょっとした会話やささやかな親切、それを日本でしても何も感じない当然の行為だけども、それに触れるだけでその地の人々の優しさを感じ更にはやっぱりこの地に来て良かったなあって思うことがよくあります。特に南の島に行くと現代社会とは疎遠で、生活の便利さから言えば自分が小学生か中学生の頃の便利さしかないけれどもとても心を洗われた気持ちになります。ただし唯一の現代社会で目に見えない電波、即ちインターネットやケータイは世界中の隅々まで張り巡らされていて、どこの地に行ってもポケットサイズのデバイスを耳にあてるか、周囲を気にせずにじっと覗き込んでいる光景は世界中どこでも一緒です。ゲイツとジョッブズは人類にとって便利で本当に凄い仕事をしたけれども、敢えて批判を覚悟で言えば、人類を果てしなく画一的にネットという網ですくってしまったと言えなくもないと思います。

異国の地の街角をぶらりと歩くと、そこの雰囲気、もっといえばそこで吸っている無臭の空気にはやはりその地の独特な味わいがあります。その地に永住してしまうと匂わなくなる空気ですが、通りすがりの旅人にはかすかに違った空気、そのような空気をたくさん吸って日本に帰国します。すると昨日までの無味無臭の変わりはない日本の空気をまた胸いっぱいに吸い込んで「がんばるぞというやる気」がふつふつと湧いてきます。そして日本という平和で便利な国に住んでいることをあらためて感謝すると同時に「明日から何をがんばろうか?」とか取り敢えず「何か目標をたててみよう」と思い始めます。それと同時に数年先にまた異国の地で新鮮な空気を吸うためのおぼろげな計画を立て始めます。異国の地はあらためて自分を見つめ直させてくれる場所です。そして日本人としての誇りとこれから何をしなければいけないかを考えさせてくれる場所なのです。

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