面と向かっては話さない息子からのメール

長男が旅立って早1ヶ月が過ぎもう少しで2か月になろうとしています。最初はいろいろと心配しながらも送り出すときもそんなにしゃべらなかった息子ですが、ニュージーからはちょくちょくメールが来ます。昔なら国際郵便でAir Mailと赤文字で書いて赤線を引っぱっていました。とても懐かしく思います。このメールという文明の利器は本当に手紙という手段を安く速く便利に変えてくれました。ケータイ電話と並んで素晴らしい発明だと思っています。その反面、日常のコミュニケーションがとれなくなる若者が続出しています。いい面もあれば悪い面もありますが、今回はいい面を垣間見ています。家にいるときは面倒くさがってしゃべらなかった長男ですが、この年頃にはよくあることでしょう。しかし離れてしまって顔を見なくなった途端にいろいろとメールが届きます。勿論、かみさんが送ったメールの返信が主なのですが、こんなに会話を日本でしたっけ?というくらいの文の量です。なかには「うまかっちゃん」なる即席麺を送れとか現地で調達した方が早いのではという内容もありますが、当地の即席麺は値段の割に美味しくないのでしょうか?国際郵便で送れば送るだけで6000円近くかかってしまいます。何かのついででないと送ることもままなりません。それ以外にもいろいろと絵文字を駆使して自分の感情を表現しながらのメールです。

このようなメールの文章を読むにつけ最初は本当に大丈夫なのか?という心配ばかりだったのが、何となく落ち着き安心して遥か彼方の彼を見ることができるようになってきました。それはそのメールの内容でわかります。最初は物品や小遣いの要求など必要な事務的なことばかりでしたが、日が経つにつれメールの内容が今の留学先で置かれている状況などの報告に少しずつ変化してきました。「もう少しリスニングができなければTOEICも全然話にならない」とか「そろそろ環境にもなれてきたので勉強にも本腰を入れようと思う」とか何をがんばりたいのかなどをメールでしゃべり始めました。日本では「ちょっとは勉強しろよ」が口癖だった親からすれば異国の地では幼い人間をも少しずつでも大人に成長させてくれているのだという証が見て取れるのです。出発する日の朝に面と向かって座らせて「この半年はお前にとってこれから将来何をやりたいかだけでも探してこい」と言って背中を押した私です。そんなに簡単に結果が出ることではありませんが、少しずつでも彼にとっていい方向に進んでくれれば「かわいい子には旅をさせよ」という諺を直に立証できそうです。しかし現時点では異国の地という自分とはかけ離れた環境でそのように感じているのであって、また日本に戻ってきたら同じような日本の環境に逆戻りするわけです。そうすると「あの時は一体なんだったのだろう?」と浦島太郎状態になってしまうかもしれません。そしてあの竜宮城での思い出の日々と日本での現実の日々とのギャップの戦いが自己の中で始まってしまうことも事実です。それを乗り越えて初めて本当に半年間留学してよかったと心から思える日がいずれやってくることを願わずにはいられません。

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