半年ぶりの娘との再会 ~その1~

4月1日に予備校の寮に入ってから早5か月が経過しました。今週半年ぶりに我が家へ帰ってきました。リフレッシュ休暇で1週間ほど我が家にいます。つい半年前までは我が家にいるのが当たり前だったのが今はいないのが当たり前です。娘のいなかった期間それまで使用していた机の上には本や参考書が山積みになっています。子供が旅立って行ってもなかなか親だけで整理整頓はしづらいものです。それは面倒くさいこともありますが、それ以上に昔の想い出をそっとそのままにしておきたいという気持ちも多分にあります。埃をかぶっていますが、そのうっすらと積もった埃の厚みが家で待ちわびていた家族の気持ちと重なり合います。今まで外に出たことのない娘が大学入試合格のために寮で缶詰になってがんばっています。最初は本当に大丈夫?と思っていましたが、少しは成長したのでしょうか?まだ定かではありません。学力も少しは伸びたのでしょうか?これもまだ不明です。帰ってきたその日のこと。私は仕事を終えて「もう帰っているかな?」と期待を膨らませながら娘の部屋に向かいます。しかしその前にダダダと階段を下ってくる音。目の前にはその当人がいます。「お帰り」と言おうと思っていたのがつい「どこ行くの?」という半年前のいつもと変わりない会話。一気にタイムスリップ!旅立つ前と変わらない時間が流れてゆきます。

帰ってきた日は少しゆっくりとしましたが、翌日からは寮と同じように朝きっちりと起床して午前3時間の自宅学習。午後はフリーですが、夜は4時間の自宅学習で計7時間の勉強時間を確保しなければなりません。寮ではテレビやケータイはもっての外で1日13時間の授業+寮学習と7時間の睡眠時間をとれば全くフリーな時間なんてありません。日曜の午後だけが唯一の息抜きのできる自由時間です。それを約半年間続けてきてその生活習慣が身についているため今回の1週間でその習慣をくずしたくないのでしょう。予備校からは毎日の義務学習がきっちりできたかを葉書で送らなければいけないしくみになっています。19歳にもなってそこまで?という意見もあると思います。しかし逆に言えばそこまでしなければ自分に勝てない少子化時代の子供たちと言い換えることもできますし、そこまでしなければ自分の夢を達成できないのです。昔から「苦労は買ってでもせよ」という言葉は現代では死語になっているのかもしれませんが、人生80年のうちそれくらい死にもの狂いになってやるのも悪くはないと経験者である私は思っています。私も高校時代には「大学に行ったら勉強はあまりしないで遊ぶ」というわけもわからない目標を掲げて1日12時間は勉強していた記憶があります。ですから大学受験の苦しさを誰よりも一番身に染みて感じています。医者になってからの徹夜も苦しかったけど、大学に合格しなければというプレッシャーも相当なものでした。しかし今になって思えば「灰色のハイスクール」も決して悪い経験ではないと確信しています。だって自分の夢のために自分の24時間全てを使えるなんて大人になってからでは皆無でしょ?

今年も患者さんがサギソウを持ってきてくださいました。来春には羽ばたいてほしいものです。

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