今年こそは

新型コロナ襲来から3年が経過して4年目に突入しました。それまでは月に数回は一人飲みや複数で飲み会に出ることもありましたが、この3年間は年に数回一人飲みでしかも夕方5時頃から飲み始めてお店が混み始める7時頃には退散していました。飲みに出ない分だけお小遣いが浮けばそれをトライアルで自宅用のアルコールやお菓子などを買って楽しむようになりました。また外で大酒を飲んだ翌日に体調を崩して年に数回は風邪をひいていましたが、外に飲みに出ないし感染対策もしっかりするようになりましたので風邪もひかなくなりました。そして一人時間が増えた分、ジムでのトレーニングにさく時間が増えたため減量に成功しました。一昨年の夏に74㎏あった体重が現在は大学時代のベスト体重の62㎏まで落としてそれなりの筋肉もついてきました。ジムで1回10km以上を目標に時速8kmで早歩きをすると決めて、週6回2時間の有酸素運動をして歩行距離もエクセルに入力して昨年1年間のジムでの総合歩行距離は3900kmに到達しました。およそ1か月で300kmから350kmを歩いて今年は年4000km越えを目指します。睡眠時間もトレーニングで疲れてバタンキューとなるので寧ろ増えて8時間は寝ています。色々あげればきりがありませんが、災い転じて福となすように自分の中でもこの3年間で大きな変化が進行中で、コロナ後に自分はどういう風に毎日を過ごして人生を謳歌していくのかを必死で考えている真最中です。子供の受験絡みで錆びついたお頭も鍛えて高校数学と物理と化学はほぼ理解しました。この知的財産もこれからの自分にどのように生かしていこうかと考えています。一方で以前より明らかに減少したものもあります。まずテレビとは無縁になり毎日見るのはニュースのみで、たまに見たい番組があれば録画で見るくらいです。それは自身の目に良いことでしょう。

しかし3年経過した現在でも今後自分が何をしたいのかという将来のビジョンが見えてきません。自分の中で多くのチャレンジを試みていますが、それがポストコロナの自分の過ごし方にどのように影響を与えて人生を変えていくかがまだ見えません。また次男がこの3月までに大学に合格しなければ次の目標が見えてきません。第一志望は不合格となり、彼の人生も当初の想定からは大きく逸れ始めています。ブレながらも次の目標を見つけその方向に舵を切るしかありません。親としては当初とは異なる目的地に向かう子供の後姿をしっかりと見守るしかできません。3月に次男の進路が決まれば、自分の向かう方向も見えてくるかもしれません。新型コロナで失われたこの3年は自分にとっては自分を見つめ直す3年でした。そして更にさかのぼること12年前の2007年の秋から長女の中学受験が始まりそれまでの自分の考え方や生き方が変わりました。この15年間は色々と本業以外で回り道をしましたが、今となっては本業以上の財産を得ることができました。そしていよいよラスト100mまでやって来ました。この4月からは自身の新しい出発になります。予定は未定ですが、残り60日を悔いなく走り切ってから「今年こそは」の始まりです。

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元旦の休日診療所日直

年末年始の12月31日から1月3日まで周南市の休日診療所の日直と当直が2年に1回当たります。2年前は大晦日の夜の19時から22時でその前は1月2日の9時から17時まででした。年末年始の中でも夜間の勤務時間は短く、昼間は長時間で戦場のようなごった返しになるために公平を期して割り振られます。新型コロナ前まではインフルエンザの罹患者が多く昼間で1日100人超えのこともよくありました。ところが新型コロナが流行すると外出自粛で休日診療所の来院人数も激減しました。しかし年末年始は医療機関がほとんど閉まるため例外です。それでも一昨年の大晦日の夜は少ない来院者数でした。当時はまだ新型コロナが海のものとも山のものとも確定されずに手探り状態でしたので医療機関に行って感染する可能性もあり来院自粛もかなりありました。しかし3年経過してほぼ新型コロナの新型を外してもいいのではないかと思われるほどの自粛制限の緩和となった初めての年末年始です。ニュースでは移動制限のない年末年始の民族大移動で軒並み飛行機や新幹線などの公共交通機関の予約はほぼ満席と更に気持ちを煽ります。メディアは事実を伝えなければいけませんが、その事実を誇張して国民を煽る傾向があります。そして専門家会議のコメントも要らぬ不安を与えることもあります。そのような不安要素のある今年の年末年始の休日診療が開始されました。

元旦は気合を入れて朝9時前に徳山中央病院からおよそ車で3分の場所に2年前に新しくオープンした休日診療所に入りました。普段なら出勤時にはまだ駐車場に来院患者さんの車は止まっていませんが、今回は既に車が駐車場で待機しています。年明け早々のこれから始まる戦いで気の引き締まる思いです。それからは電話の嵐で事務からナースのスタッフ総勢で電話のやり取りが始まり新型コロナの検査がひっきりなしに続きます。第7波の昨夏の日曜日の日直でもごった返しの戦場でしたが、今回も同じ状況です。事務は問い合わせ、ナースは検査のやりくりや問診、そして私は診察と完全分業です。そして診療所内に発熱者は入れませんので、検査の結果と問診記入表と名前の下に記入された車のナンバーの控えを見ながら駐車場に並ぶ車のナンバープレートを覗き込みます。車体ナンバーとカルテと検査結果が一致した後に名前と生年月日を確認すると言っても過言ではありません。それほど年末年始の日直は大変なのです。結局、1日に30人以上の新型コロナの検査以外にも電話での問い合わせもありました。検査のキャパの1日で40人が限界で不可能な場合には無料自己検査キットを車越しにお渡しするケースもあります。この片田舎でも外来は大混雑でしたので、都会の年末年始の救急医療は更に大変だったと思います。

私は元旦日直でしたが、明日、明後日と同じパターンが予想されます。最前線の意見としては医療逼迫と言いつつ行動制限をしないのなら、政府と専門家会議は責任と覚悟を持って5類相当に早く下げ、国民もある程度の負の結果を受け入れる必要があります。

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兎と亀

先日10年ぶりに中学時代の理科の先生が私を訪ねて来られました。その先生は理科の授業を担当されただけで担任でもありませんでしたので、卒業後に接点は皆無でした。それから30年が経過して中学の同窓会を開催した時に私は幹事をしましたので、かつての恩師のビデオレターを撮影すべく防府の先生の自宅にアポをとって伺いました。勿論、恩師は私を覚えているはずもありませんので、同級生に放駒部屋に入門した元力士がいましたので彼の名前を出すとすぐに「あの学年か」と懐かしく思い出して頂けました。それから10年後の今回のアポなしの突然の訪問ですが、先生が私のことを覚えていただいていたので嬉しく思いました。御年は82歳になられていましたが、とてもお元気で昔取った杵柄で現在も防府のソラールで理科関連の不定期な仕事をされているそうです。

当時、先生が理科の授業で話されたのを今でも鮮明に覚えています。「どうやったら人間は速く走れるか?」という質問でした。今なら「ウサインボルトのようになればいい」と即答してしまいそうですが、当時は10秒の大きな壁を破れるかどうかが人間の限界と考えられた時代です。先生は「足を速く運べばいいんだ。右足を前に出した後になるべく速く左足を前に出す。その繰り返し動作を速くすれば速く走れる」とのことです。言われてみればその通りです。「地に足が着く前に次々に足を前に出せば、究極は飛ぶことになる」とも言われました。それが科学的に真実かどうかは今でも理科が苦手な私にとって疑問は解決していませんが、リニアモーターカーのように宙に浮けば摩擦が無い分だけ速く走れるという理屈にはかないそうです。ピョンピョンと飛跳ねることで速く走ることは物事を効率にこなしていくことにも繋がり、現在のせわしい世の中にはとても大切なスキルであることには間違いありません。そして今年こそはピョンピョンと飛び回れる世の中になって海外に自由に行けるコロナ後の新しい社会になってほしいという強い期待もあります。

今年の兎年にちなんでピョンピョンと威勢の良いお話にしたかったのですが、少し話題を変えて兎と亀のお話をします。「継続は力なり」でコツコツと真面目に積み重ねることこそが真の力となり最後に亀は兎に勝つという物語です。私はこの物語が好きで、以前子供が入試に失敗した時に親として何か伝えることはないかと考えてこの四字熟語「成亀勝兎」を作りました。ネットで過去にもこれと同じ意味合いの事例は多くありましたが、熟語としてはあまり聞いたことがなくネット検索でもヒットしませんでした。漢文を高校時代に学習しましたが、そのルールに沿って作りました。まずは成長してほしい気持ちと亀でも頑張れば成功するという意味を込めて成亀として、のろまな亀でも努力して兎に勝ってほしいという願いから勝兎を続けました。音読みなら亀は「キ」で兎「ト」になりますので「せいきしょうと」と読んで「兎に勝つ亀に成れ」になります。兎と亀、双方ともに一長一短はありますが、最後はピョンピョン飛び跳ねるよりもノロノロでもいいから雑草の如くしっかり地に足がついている方が強いと思うのは私だけでしょうか?

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今年の漢字は「戦」、個人的には「忍」

今年の世相を反映する漢字は「戦」でした。戦いには色々ありますが、やはりロシアの仕掛けたウクライナへの侵略戦争に尽きます。その他の戦いにはコロナとの戦いやドーハでの戦いなど数多くありました。平和な世の中でスポーツなどの競争で「戦」という言葉を使用する場合は気持ちを鼓舞して勇ましくも聞こえますが、本来の意味を兼ね備えた場合はあまり好んで使用する言葉ではありません。元来、生きる者は全て何かしら「戦」が存在します。動物などは本能的な「戦」をしないと自らの存在さえ否定されてしまってやむを得ず戦います。一方で高度に脳みそが発達した人類もやはり「戦」は存在します。その「戦」は生存をかけた「戦」というよりも「欲」が絡んだ「戦」と表現した方が適当かもしれません。実際にはしなくてもよい「戦」を敢えて行うという「人間の性」が背後にあるのかもしれません。

しかしそのような一方的なご都合主義で「戦」を吹っ掛けられたウクライナの人々はたまったものではありません。あと2か月もすれば戦争が始まって1年が経過します。第三者からみれば「落としどころを探る」という言葉も存在しますが、犠牲は出てもウクライナからすれば結果として「勝つ」しか選択肢はないでしょうから、どこかで妥協は到底できません。それはもし日本が隣国と同じ状況になれば同様のことです。最終的には国連や戦勝国の安保理の国々が努力して解決するしか手段はありません。しかし現状では今回の戦争やコロナ対応そして弾道ミサイルや核開発など全てにおいて国連は機能不全に陥っています。結局、一度ガラガラポンとこれらの全ての枠組みを組み替えなければどうにもならない所まで来ているような気がしてなりません。一方で一度崩壊した枠組みを作り直すには気の遠くなるような時間が必要になります。ですから結局は現状の枠組みでどうにかして妥協を引き出すしか選択肢はないのでしょう。日本国内でも多くの「戦」があります。大きな目で見ると「そろそろコロナも3年経過するからお開きにしましょう」と言いたくなります。世界ではマスクもつけずに普段の生活に戻りつつあります。勿論、感染者は多数いますが、インフルエンザなどその他大勢の敵と同ランクに位置付けられつつあります。来年早々には日本も早くこの流れに乗らなければなりません。

では私の個人的な今年の漢字は「忍」でした。努力をしてもなかなか自分たちの思った通りにはならないという現実があります。まだまだ「戦」は3月までのラストスパートが残っていますが、志望校が1校ごとに撃沈されていくと戦う意欲もかなり低下します。その中でいかにモチベーションを維持していくかは並大抵の事ではありません。当人は更にしんどいのは傍から見ても十分理解でき、その仕草を見せないようにしているだけでもこの1年で成長したと思います。皆が夢を叶えられることなんてあり得ません。人はどこかで挫折して夢を諦めます。そして諦めて荒れた大地からも雑草は生えてきます。そしていつかは森になります。踏まれて挫折しても何度でも立ち上がれる強い心の持ち主になってほしいと願って今年の漢字の「忍」から来年の「希」にタスキを渡したいと思います。

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目標は6割

皆さんは6割と聞くとどう感じるでしょうか?今回でブログも600回に到達して目標の6割まで到達しました。かれこれ11年半です。ゴールの1000回まであと7年半です。そこまで気力や体力が充実しているかと問われるとあまり自信がありません。曲がりなりにごまかしながら公私ともに現状維持で続けているとは思いますが、最初の頃の初心には到底及びません。ただ6割というのは世の中でよく使用される数字で、今回はその6割に照準を当ててみましょう。

世の中では半々や五分五分という言葉も存在しますが、あまり肯定的にとらえることはありません。相撲なら勝ち越しで国会なら多数決で5割を超えれば勝ちですので好印象に受け取られる言葉ですが、通常なら「もう少し数が欲しいよな」という数字ではないでしょうか。それが今回の6割なのです。6割というのは社会人になる前の学生までに使用する機会が多かったように思えます。出席日数は6割で可能で、試験も点数が6割を超えれば進級できました。偏差値も5割が真ん中で、6割を目指していました。全て折り返し地点よりも少し前に進んでいると気分的にホッとするのでしょう。逆に5割だと物足りなさと不安を感じてしまうことが多かったように思えます。

人生90年で6割といえば54歳になります。今の自分は通り過ぎてしまいました。残りの4割弱をどう過ごすかを考えるとこれからの20年間の9割までの時をいかに充実させて過ごすかが非常に重要です。先日、このブログを読まれた方から「現在の自分がいかに早く現状から離脱したがっているかが感じられる」というご意見をいただきました。「仕事だけが人生ではない」とか「仕事は自分の人生の居場所である」とか色々と表現方法は異なりますが、現状に満足していない自分がいるのは事実です。それが「現状維持しながら新たな発見を探す」選択肢や「現状を一旦終了させて新しい世界に飛び込む」選択肢もあります。しかし現状を一旦終わらせるのはかなりの勇気が必要です。それなら現状維持と新規開拓が半々の選択肢の方が良いかもしれません。何事も6割を超えるとそちら側にシーソーは傾いて徐々に勢いがつき7割、8割とどんどん進んでいきます。今は人生の五分五分のところに来ているのかもしれません。ただしその現状を変えるにはもう少し時間が必要です。せめて子供たちが晴れて社会人になって自活できるようになれば自分の中でも踏ん切りをつけて動き出せるかもしれません。そのためにはまだ少々の時間が必要です。そしてその頃にはこのブログも最終回の1000回に近づき9割超えをしているはずです。900回記念のブログを書く頃に再びこの600回記念のブログを読み返す自分を想像しながら今のブログを書いています。

人生は儚くも面白いものだと思っています。もしかしたらその時は生きてないかもしれません。しかしこの文章を残すことでその時々の自分の気持ちを残しておくと、未来の自分が過去を振り返った時にその時々の自分の輝きを思い出せます。

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