イスラム国による悲劇が繰り返されないために

もうあの世間を騒がせた人質殺害事件から数か月が過ぎようとしています。最初はこの話題については社会的な国家的なまた家族の想いから自分の意見を述べるかまたは心にとどめておくべきかで自身の中でも葛藤がありました。これについては誰が悪いかといえばテロリストが悪いのみです。「テロリスト達の行為は断固許せない」という総理大臣の発言は当然です。また被害の当事者ではありませんが「ご家族の気持ちを察して余るものがあります」なんてありきたりの言葉しかマスコミも発信できません。本当はその立場になって初めてその胸の内の苦しさが共感できるのであり、表面的にありきたりの言葉しか私も凡人ですので思いつきません。本当にその悲しさを実感することは不可能です。自己責任だから仕方がないという軽い言葉がネットを飛び交っていますが、軽軽な言葉で片付けてはいけないと思います。またイスラム国の人々が全て悪いかといえば決してそんなことはない。大多数の人々は難民として苦しんでいるということを後藤さんは日本の人々に知ってもらいたいために、また湯川さんの情報を得るために渡航したとされています。一方で外務省は非常に危険な紛争地帯のため渡航自粛を要請していたと後に報道されました。日本国民を守るという義務が政府や外務省などにはあるわけですが、憲法上渡航の自由を制限されないという苦しい解釈もあり、彼の行動を一方的に自己責任論だけで片付けられないと思います。冬山の遭難や海難事故、例えば以前ヨットによる太平洋横断で某読売テレビに出る司会者が救助されたことについても自己責任で片付けられてしまう風潮が強かったのですが、目の前に困っている人を見たらやっぱり助けるしかないでしょう。勿論、国民の税金を無駄遣いしないために危険なことはしない方がいいに決まっていますが。

今回のイスラム国事件についてもその背景を探ればそのような状況に追い込んだ理由も多々あると思います。前を辿ればアルカイダ、そしてシリアの内紛やイラク戦争に行きつきます。しかしもっと遡ればイスラエルとパレスチナ問題などにも関係して虐殺からみればアウシュビッツの悲劇も過去に経験しています。それは宗教の違いや大国と小国の貧困の格差や大国主導の外交政策のエゴも起因しています。その根底にありいつの世にも爆発してしまうものそれが抑圧された人間の感情です。その感情を取り除けない限り永遠にまた禍根を残していきます。そして反乱分子が生まれ、いつの世もしわ寄せを食らうのは弱者です。よってこの世の中から争いをなくすことそれが唯一の解決策ですが、決してなくならない永遠のテーマです。それではどうすればよいか?人間は他の動物とは異なり感情と知恵を持っています。その知恵をフルにいかして感情を抑制しなければなりません。そのためにすべきこと、それは次世代に賢い知恵をつけさせるための教育しかないと個人的には思っています。今すぐに結果は出ませんが、戦後70年間維持されてきた平和憲法の趣旨にのっとり人類を守るための知恵を育てる教育、すなわち知育、それが100年後の人々を幸せにすると思うのです。ただし自己防衛をするための抑止力も必要かもしれません。

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