大部屋の良さ

最近は核家族世帯が増えてきて旅行をしても4人部屋でもスペースが十分余ります。なかなか2世帯7人で一部屋というのはありません。どうしても二部屋に分かれるか大人数でも可能な特別室を用意している旅館やホテルは限定されます。中高の修学旅行は今でも大部屋なのでしょうか?もしかしたら東京などへの修学旅行だったら4人部屋で夜は枕投げをしているのでしょうか?そもそも枕投げという言葉自体が死語になっているのかもしれません。私の中学時代の京都と奈良の修学旅行では一クラス40人で男女別で確か20人くらいの大部屋だったように記憶しています。もしかしたら10人だったかもしれません。いずれにせよ、枕投げをするには十分の人数と広さでした。今思い出しても楽しかった記憶が蘇ってきます。子供部屋もしかり。家庭でも子供の数が減っていくうちに個室の勉強部屋の確保も可能な時代になりました。我が家は一部屋に3人まとめて長女が高校卒業まで高校・中学・小学生の3世代勉強部屋にしていました。最近は子供部屋に閉じこもって勉強すること自体ナンセンスで小学生はリビングで母親と一緒に勉強しましょうといわれる時代です。そして中学生や高校生になるとスマホやiPodを持って勉強部屋で隠れてラインやパズドラをやっているかもしれません。そのような時代ですから尚更人目につきやすい大部屋でお互いの目に触れさせながらの子育ての方がよいのではないかと思います。

3世代住宅といっても階によって世代が異なる場合も少なくないでしょう。うちもその口です。だから旅行に行くときはなるべく大部屋を事前に予約して行くようにしています。今回も年に1回行けるか行けないかの3世代1泊旅行に行ってきました。昨年行った油谷の楊貴館が海を間近に見ることができて尚且つ7人が一部屋に入れるのが魅力でした。それと昨年は残念なことに夕日が見ることができなかったのでリベンジもこもっています。そして今回は弟家族も4人で参加です。私は弟と二人兄弟ですので両親からすれば子供家族と孫まで引き連れて1泊となれば冗談でも「冥途の土産に十分でしょ?」と言いたくなります。人間の命なんて宇宙の暦から考えればちっぽけなものです。生命、肉体なんて物理学からいえば元素記号の集まりでそれが物体を作り出しています。そして感情もない物質になるか、タンパク質を伴った生命になります。そしてその一部が感情を持った生命体として生きています。しかし命は限りがあります。限りがあるからこそ、その炎が燃え尽きるまでにどうしてもやりたいこと、若しくはやらねばならないこともあります。この大部屋旅行はそのどうしても個人的に今しかできないことでやらなければいけないことなのです。もしかしたら1年後には自分の父親は86歳で物理的に存在してないかもしれない、そんな思いがあるので一昨年も昨年もこれが最後と思いながら繰り返し大部屋旅行を楽しんでいます。来年はどうなるやらと思いながら。

今回もお気に入りの昨年と同じ大部屋を予約して今その夕日を眺めている瞬間です。限りある命、そして何事もなかったかのように翌朝には日がまた昇っていきます。

楊貴館

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