道徳の時間から道徳科へ
~ゆとり教育や英語教育の失敗もふまえて考える~

2月に文科省から小中学校で平成30年度から道徳という人間の基本的な倫理観を学ぶ授業が正式に「道徳科」に格上げされました。以前に防衛庁から防衛省に格上げされたような感じです。かねてから安倍総理は「愛国心」の大切さを強調されていました。まず日本のことをしっかりと理解して自国を愛することはとても重要で大賛成です。また読み物中心の道徳から考え意見する道徳に変えていくことにも賛成です。他教科でも英語教育が文法や読解中心だったため結局は大人になっても英語がしゃべれない、聞けないという弊害がずっと指摘されてきました。そして最近になってやっとTOEFLだとかTOEICなどの重要性が叫ばれて小学校で英語教育が始まります。過去の教訓を生かして試行錯誤しながら前に進んでいくことは尊重しなければいけません。でもちょっと待って。英語教育の早期からの重要性はもっとものことで論を挟みませんが、日本語がまだあやふやで基礎がしっかりできてない子供に一律に英語教育を施してしまうと、それはまた10年後に失敗する可能性が大きいのでは?と思います。うちの長女の頃に文科省がゆとり教育などと馬鹿げたことを言いだして結局失敗したことはもう遥か彼方に忘れ去られているようです。我々の頃は英語の読解が中心で読み書きができれば聞くことやしゃべることができなくても問題はありませんでした。個人的には徹底的に英語の読み書きをさせてもらったおかげで今でも医学文献などを読むことは結構簡単にできます。現在はグローバルだから聞くことができてしゃべれなければいけないと皆が右向け右のように言います。本当にグローバルな職業の人には必要ですが、それ以外の大多数の日本人に必要なのかどうかは疑問です。もし海外に行きたければそこから始めても悪くないし、基礎部分としての聞くことや話すことを小学生から始めることはいいことです。しかしその前に日本語の語彙や言葉の使い方などを徹底的にやってから英語を始めた方がいいと我が子を見てつくづく思います。我が子が通った中高は「英語を勉強する」ではなく「英語で勉強する」がうたい文句ですが、その前に「日本語をしっかりと使えた後に」という文言を入れた方がいいと思います。

さて最初の本題の道徳教育ですが、イジメ問題も授業で取り上げるとしていてその点に関して全く異論はなくどんどんやってほしいです。ただ教える側の大人社会には「本当にイジメは大人社会では存在してないの?」という疑問がいつもつきまといます。社会にでたらイジメのような境遇を見かけることはどこの職場にもあるはずです。むしろない方が異常であるといっても過言ではありません。外交ではイジメではないけど仲間外れはよくあることで自己中の国や民族なんて当たり前です。そのような現実を鑑みながら小学校の考える道徳で「イジメは悪い」と教えることは三つ子の魂百まで忘れずと言われるようにとても大切なことです。しかし教える側は困難なことがたくさんでてくるでしょう。それでも考える道徳は大切なことで半歩前進です。あとは教える側の身勝手な大人たちが現実社会の階段を更に一段昇って成長できるかにかかっていると思います。

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