恩師は今?

同窓会をすると必ず恩師を呼びます。恩師も是非教え子に会いたい気持ちはあり会に呼ばれれば喜んで来てくださいます。ちょうど自分たちが恩師と同じくらいの年齢を重ねたときに恩師は更に先を行かれています。亡くなられた恩師もかなりいらっしゃいます。しかし自分の教え子が立派になったのを見届けることも教師という仕事の素晴らしい一面でもあります。3年前に中学の同窓会をしたときには中3のときに7クラスあったので恩師は7人。しかし2人は亡くなられていました。残りの5人の先生にはお会いしてビデオレターを作成して当日の会で流しました。小学や高校時代の恩師を含めると一人の人間が成人していくまでにたくさんの恩師に出会います。どの恩師もそれぞれ個性豊かでしたが、恩師と同じ歳になって初めてあの当時恩師がされた仕草やビンタなどの行動も含めて「あれ、おかしいんじゃね?」ということも多々思い浮かんできます。以前中学の同級生と恩師とで飲んだときに「先生、放課後に校庭を走らせて、ちんたらと走ってしばかれて鼻血を出したあの光景覚えていますか?」と聞いたら即座に昨日の事のように「よく覚えてるよ」と言われた時にはびっくり。「一瞬の記憶のフォトショット」は誰しも共通のようです。

今までの恩師で是非一度お会いしたい先生が一人いらっしゃいますが、その恩師の現在がわかりません。どんな先生だったかといいますと、小学3年の時に大学卒業されて最初の赴任が富田東小の我々のクラスを担当されたN先生です。先生は当時の青春テレビドラマを地に行くような先生でした。今よりおおらかな時代でしたし、教師1年目だという理由もあったのでしょう。夜の小学校にクラス皆で泊って肝試しをしたり、日曜にハイキングや山登りに行ったり、放課後には率先して校庭で生徒と遊んだりして下校時間を過ぎることも度々でした。多分当時の校長先生は寛大だったのでそのような型破りな先生の姿を温かく見守ってくださっていたのだと今でも信じています。しかし職員室という狭い大人の世界ではいろいろと軋轢があったことは当時の子供でも予想はできます。結局、2年間の赴任で田舎の分校に転任されていきました。時は流れても先生のその後の噂は聞かれませんでした。大人社会の常識につぶされたかどうかも定かではありません。ネットで氏名や職業を入力して先生のその後を検索してみました。すると所在がわかりました。やっぱりネットは凄い!最後は下関で校長先生をして退職されたようです。

現在は学校にモンスターが蔓延って教師自身もKYが多いと言われる時代ですが、そういう時代だからこそ自分でもそんな恩師にもう一度会ってみたいと思うのでしょう。一瞬ですが連絡してみようかと頭をよぎりましたが、オレオレ詐欺と勘違いされそうです。やっぱり過去の永遠に残しておきたい大切な記憶のフォトは、そのまま玉手箱を開かない方がいいのかもしれません。電話すると受話器から白い煙が出てきて私の髪が真っ白に変わるかもしれません。スパイ大作戦ならカッコイイのですが。連絡しなかったこと、それは自分が少し大人になったからかもしれません。

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