急がば回る亀は兎に勝てるか?

急がば回れという諺があります。先日の事、暗い夜道を歩行者信号が点滅し始めたので急いで渡ろうとしました。そこまではよくある話。通常は通らない道でしたが、たまたま点滅信号についつい惹かれてしまったのでしょう。ダッシュして渡り切ったのは無事成功だったのですが、その後がいけない。慣れない夜道のため歩道の法面が見えてなかったのでダッシュのまま法面に突っ込んでヘッドスライディングとあいなったわけです。しかしまだそれなりの運動神経と反射機能は保たれています。うまくアスファルトの上に滑り込みました。両手や膝などが血だらけです。数年ぶりの大怪我となってしまいました。これがあと20年もして転倒すると大腿骨頸部骨折で寝たきり、認知症に進んでいくのかもしれません。転ばぬ先の杖とはよく言ったものです。人間はつい欲が出て目の前に人参がぶら下がると我を忘れて飛びつきます。その点からいえば知恵と感情を持たない生き物と同じレベルです。後で冷静に考えればちょっと急いだばかりに失敗して結局は無駄な時間を倍以上使ってしまったなんてことがよく起こります。それでも結果よければ全てよしとなりますが、最悪の場合取り返しのつかないことに発展することもあります。

そこで今回の石橋を叩いて渡るというよりもゆっくりとしか歩けないけれどもコツコツ型の亀か一気に駆け抜けてしまうけれども後先を考えずに暴走してしまう兎かということで昔からよく比較されてきました。またアリとキリギリスという喩えですが、外国ではキリギリスがどうも本当はセミだったらしいのです。いずれにせよ真面目に働くものが報われるということが事の結末ですが、外国ではいろいろと解釈があるようです。夏の間、歌を歌っていたセミがアリに「食べ物をください」というとアリは「夏の間ずっと歌っていたなら冬の間ずっと踊っていなさい」と言われたらしいのです。日本の場合アリがキリギリスに「さあどうぞ、召し上がれ。そして歌声を聴かせてください」でめでたしめでたしです。騎士道と武士道、そして宗教の違いでしょうか?自業自得で終わるか人類皆兄弟で終わるかでは国によっては天地の差でしょ。仕事でも勉強でも人間生きていく上では真面目にコツコツが理想です。その意味では個人的な意見として、亀やアリが競争社会で勝ってほしいわけです。しかし現実は全く異なり、赤信号で渡った者勝ちの世の中です。いずれどこかで綻びがくるはずと正直者は自分に納得させるけれども本当に最後は亀とアリと正直者が笑うことができるのだろうか?という結果主義の世でもあるわけです。

とかくビジネスでは要領の良い人間が先陣をきれば大勝ちするし、急いで近道をした者が得をすることは多いでしょう。学ぶことに王道なしとよく言われますが、これは努力したものが皆ではないが報われるという意味では平等だと思います。ただしその努力もしなければダイヤモンドの原石もただの石ころで終わってしまいます。最近では遺伝子解析が進んで遺伝子の良し悪しが努力を凌駕する可能性も指摘されていますが、努力なくして結果はでないのは事実です。私はアリと亀と正直者がやっぱり好きです。

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