お墓参りの引き継ぎ

昨年末のこと、82歳になる母が「わたしゃ、もう墓参りに行くことができないからこれからは、お前が引き継いでくれ」という弱音を吐いてきました。まだ足腰も丈夫で腰も曲がらずしゃんとして毎日買い物に一人で出かけるほどの元気者なのですが、かなり80歳を超えるといろいろなことで弱気になってきました。うちのお墓は近くにありますが、小高い山の頂上にあります。なるほど見晴らしはよく亡くなってもさぞご先祖様は下界を見渡すにはもってこいの場所です。お墓を山の頂上にしようと考えたのはまだ高齢化社会に突入する以前で参る側も若くて足腰に自信があったのでしょう。何の迷いもなくこの立地に決めたのだと思います。しかし自分が歳をとり足腰に自信がなくなると次世代にまかせればいいという安易な気持ちもあったはずです。その当時は未来の少子高齢化など予想もしなったのですから。特に高齢化以上に出生率の低下により家系すらとだえかねない状況に陥りつつあります。仮に子供がいてもUターンでは仕事がなく故郷の実家には年老いた老夫婦で自分たちは都会のマンションで永住ということも自分の同級生にも多くいます。なかにはお墓自体を田舎から自分の住む都会のお寺に引っ越したという事例も聞かれます。勿論、都会ではお墓を買う土地さえ不足してコインロッカーならぬロッカー型のお墓でお参りすると立体駐車場ならぬ骨壺が電動で運ばれてきて拝みます。よくテレビでこれからのお墓事情という話題で出てきます。まだ田舎ではそこまではありませんが、山の頂上で登れなくなった高齢者が次の世代にタスキをつなげずに泣く泣くお墓を山のふもとの境内の屋根付きロッカー型のお墓に移動ということもあり得るわけです。昨年、私もロッカー型お墓を見学させてもらいました。お墓を移転をするかどうかは別として、万一車いす生活にでもなったら本当に山の頂上からふもとへの移転計画が浮上してきます。転ばぬ先の杖とはよく言いますが、情報として知ると知らずでは大違いです。実際に見学してみると人それぞれ好みはあると思いますが、年老いた高齢者が山に登れなくなればふもとでも先祖を拝めるということは高齢化社会にとってはよいことだと思いました。「まだ自分は若いから関係ないよ」と思っていても30年後には登れなくなることも事実です。その時、次世代の墓守の跡継ぎがいればいいのですが必ずしもいるとは限りませんよね。

3年前にブログには都会のロッカー型お墓について、まだまだ地方では汗をかきながらお墓参りをしているということを書きました。そしてまだまだ地方ではそのようなことは遙か先のことで他人事のように書いていましたが、じわじわと高齢化の影響が浸透してきています。高齢化に限っては地方、特に山口県は日本でも先端を走っています。昨年末に身内が墓守の交代を言い出して初めて自分の身の回りでも最近のお墓事情が変わりつつあるなと実感した次第です。私も元気なら20年は墓守安泰ですが、明日のことは誰にもわかりませんのでこのようなシミュレーションをしておいても損はないでしょう。次回のお墓参りは春のお彼岸の予定です。

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