不安の度合いは本人の精神状態に左右される

皆さんも悩み事は多かれ少なかれあると思います。無い方はいないでしょう。悩むときはちょっとした些細な事でもくよくよします。夜寝付く前に枕元であれやこれやと考えていくと頭の中で堂々巡りがおこり初めに何を悩んでいたのかわからなくなることってよくありますよね。そして朝起きた時には昨夜はどうしてそんな些細なことを深刻に悩んでいたのだろう?と疑問に感じることもよくあります。逆もしかり。夜はこれで大丈夫と悩みを解決したつもりで明日からがんばるぞと思って寝たのに翌朝に新たに悩みをみつけてどうしよう?と更に深みにはまることもあります。なぜそのようなことが起こるのでしょうか?多分見えない仮想の敵を相手にしているからではないでしょうか?当たって砕け散ってもいいやと思いっきりぶつかってみると意外に簡単に切り抜けられことも多く過去にあったのではないでしょうか。つまり本当の敵は自分の不安の中に潜んでいるのです。その不安が自分の中で増幅してお化けのように不安が大きくなって前が急に見通せなくなり更に不安が増していきます。反対に絶好調の時は少々不安があってもそんなもの気合で乗り切れるなんて簡単に考えられるでしょ。結局は自分の前に立ちはだかる困難は自分の中で処理しきれる精神状態の時とそうでない時によって変わってくるのだと思います。また絶対的な不可能な問題のときは本人が最初からあきらめているのでその不安の対象になりえないのです。例えば自分がもしアメリカ大統領になったらとかノーベル物理学賞を受賞したらとか国際宇宙ステーションに滞在したらなどということは絶対的に不可能に近い未来であり悩む対象になりません。東大を受験して落ちたらと不安になるのは少なくとも努力してギリギリ合格できるかもしれないと期待感もそれなりにあるから不安が現実となるのです。もし何も勉強しないで東大受験してもし不合格になったらと悩まないはずです。絶対的な自信をもって臨んだのに不合格になったらそれはどん底に突き落とされて当分の間は這い上がれないこともあります。しかし人間とは強い生き物で絶望の淵にいてもいずれ復活してきます。ただし絶対に諦めないという気持を持ち合わせていることが絶対条件ですが。かの有名な発明王エジソンも「諦めなければ失敗はない」と言っています。1000回失敗しても1001回目に成功すればそれでよしです。999回目で不安になるかもしれませんが、不安とは1000回目に対する不安であり自分の精神状態さえしっかりしていれば乗り切れるのだと最近少しだけ思うようになってきました。

人間はとかく弱い生き物で目の前の事に不安になりちょっとしたことでもくじけそうになるのが常です。絶対的に強い人間なんていないはずだと思っています。それを人前で見せるか見せないかだけの違いではないでしょうか。不安があるということは可能性がゼロではなく博打でサイの目が偶数か奇数かという半々の確率のとき最大になるのであって、それは成功する可能性も期待できる時なのです。と夜と朝に自分に言い聞かせながらいろいろな不安と闘いながら日々奮闘しているのです。

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