保身と挑戦

今回は保身と挑戦について紐解いてみたいと思います。何かしらの地位につく人間はその地位にしがみついて保持しようとします。立場が危うくなると種々の手段を画策して自分の身を守ろうとします。動物が身の危険を感じて相手に襲い掛かるのと同じ行為かもしれません。それが違法行為につながって逮捕されることもあります。世の中では跡目争いや会社での出世競争など数多くあります。お金はあるにこしたことはありませんが、ありすぎるとまたそれが災いのもとになります。遺産相続の際に身内での骨肉の争いなどがその典型です。もっと身近な事であれば資格などでも起こりえます。取得するためには挑戦しますが、いざ取得してしまうとチャレンジ精神は身を潜めて守りに入ります。専門医資格も同じでそれを取得するには相当のエネルギーを費やしますが、取得後はその資格を維持することが主目的へと変わることも少なくありません。その根底には人間に欲があるからではないかと推測しています。保身の欲は挑戦した頃の初心の欲を忘れさせていつの間にか守りの自分を完成させてしまうのです。

それでは挑戦し続ければいいじゃないかということになります。それは理想ですが、挑戦し続けるということは並大抵のことではありません。どこかで休まなければ身も心もボロボロになってしまいます。しかし人間はよくできたものでどこかで手を抜くことができるのです。よく芸能界で歌手や俳優が「これから1年間休養をして充電してきます」と言って画面から姿を消します。毎日同じ顔を見ていたら見る方も飽きてきます。ちょうどそのタイミングで人生の長期休暇に入るわけです。同じ自営業でも私たちのようなほとんどの人間はそんなことはできません。明日からの食扶ちがかかっているわけですから。あんなことを言えるのは残り人生を生きていく上で最低限のお金を稼いでしまって余裕があるかもしくは守るものがないから言えるのです。私もいつか「医者を休業して1年間充電してきます」なんてかっこいいことを宣ってみたいものです。

人生で何も失うものがない時は挑戦しかありません。チャレンジすることにより自分も成長して周囲も認めてくれるようになります。周囲に認められて信頼ができるとその信頼と周囲の期待を守らなければならなくなります。そこで保身が芽生えてきます。そしてその保身の芽がどんどん成長するとチャレンジという芽は出にくくなり最後は消えてしまいます。そして残ったものは保身という図体だけでかい大木となり後は朽ち果てていくしかないのです。自分の人生80年でチャレンジしっぱなしも辛いし保身だけでも面白くありません。50歳を過ぎたあたりの自分が丁度その時期で失いたくないものや守らなければいけないものもたくさんあるけれど、挑戦もしてみたい。多分この歳が最後のチャンスだろうと思うのです。10年後の自分を想像してみるとどう考えてもチャレンジする姿を想像できません。毎年このようなことを年明け早々に考えて1年の目標を掲げるのですが、今年ももう少しで終わってしまいそうです。

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