金メダリストの魔法の言葉

以前、ZARDの故坂井泉水さんの「負けないで」は魔法の言葉で元気が出る歌詞であるとこのブログに書いたことがあります。それからこのキーワードは頭の引き出しに仕舞い込んだまま埃を被っていました。そしてリオ五輪が終わって半年後に体操の内村選手のリオ五輪のNHK特集で「魔法の言葉」というキーワードが多用されその懐かしい匂いのある言葉の再登場で私の引き出しも再活性化されました。そのキーワードは内村選手のロンドン五輪まで遡ります。世界選手権では6連覇という偉業を達成している天才でさえ、中国という仮想敵国の選手の背後からの足音に自分を取り乱して五輪という魔物に飲み込まれて自滅して、悲願のアテネ以来の体操団体五輪金メダルを取り損なった苦い思い出から話題は始まります。ロンドンでの忘れ物が団体の金メダルで、その忘れ物を獲りに行くのが今回のリオだったのです。個人としては一つの大きな壁を乗り越えたもののたった一人で団体の頂点を目指すことは不可能です。そしてリオ五輪を前にして後輩の選手が内村選手の4年前と同じようにプレッシャーに陥ります。しかし内村選手はその後輩に自身の4年前の失敗を教訓に「魔法の言葉」をかけてその窮地から救います。投げかけた言葉は「お前がいなければ絶対に金メダルは獲れない」です。いたってシンプルです。しかしその「魔法言葉」により五輪前の全日本選手権でその選手は代表入りをもぎ取るのです。一時は落選かと危ぶまれていました。そして皆さんも感動したリオ五輪での団体戦一騎打ちは見応えがありました。努力は実るもので本当に皆の力が結集して金を獲りました。

それでは私の中で「魔法の言葉」とは何なのか?遥か昔に思えるような次男の中学受験がありました。実際にはまだ1年半しか経過していません。その当時もいろいろな雑誌やネット上で「魔法の言葉」が飛び交いました。子供に対して「お前を信じている」とか「お前なら必ずできる」と褒め言葉を使うのです。あくまでも前向きな言葉です。そのような言葉がときとして「魔法の言葉」に変わるのです。皆が皆その「魔法の言葉」によって変わるわけではありません。皆が変わるなら東大の受験生の皆が合格してしまいます。しかし不断の努力を続けていた挑戦者にそのちょっとした気遣いや「魔法の言葉」をかけると化学変化が起きて変身することもあるのです。それを信じて気の利いた言葉をかけてやりたいのですが、自分自身の器が小さいもので実際はなかなかうまく声をかけることができません。「魔法の言葉」をかけるということはその言葉をかける側が本当に修羅場を乗り越えてその経験を元に相手の事を考えて、いたってシンプルに言葉をかけることなのだということが今回の内村選手のドキュメンタリーを通してわかったのです。有言実行できるということは本当に凄いことだと思います。それと比較するとまだまだ私は未熟者だったのです。しかしその事がわかっただけでも進歩なのです。次の機会があればもしかすると私は子供たちに言葉で魔法をかけてひとつ高みに連れて行ってやれることができるかもしれません。そのためにも日々精進なのです。

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